忙しく稼ぐ者と暇な低所得者とに二極化し、それらは寄付で繋がる

時間があるので社会的な意義のある活動をしていきたい金原昌史です。

これから絶対に「寄付」という行動が高所得者の間に流行るはずです。そして、時間に余裕のある低所得者の間には「社会活動」が流行るでしょう。

人生とは必要以上のお金を稼いでも虚しく、時間を持て余しても虚しいものです。人々はその上に「存在意義」を求めるようになり、お金がある者は寄付を、時間がある者は社会活動をするようになります。

上位1%ほどの人以外はたくさんお金を稼ぐために長時間働く必要があるので、なかなか社会活動にまで手を伸ばすことができません。しかし、お金にこだわらない、例えば万年実家暮らしのパートタイマーのような生活をしている人たちには時間があるので、社会活動をすることができます。

お金はあるが時間がない人。お金はないが時間はある人。

それらは寄付という行動で繋がり、社会活動によって横への広がりを持たせるようになるでしょう。その中で一人一人が社会的な意義を持ち、社会の仕組みすら変えていくようになるのです。



高所得者に寄付が、低所得者に社会活動が流行る

「一億総活躍社会」とかいう言葉がありますが、世の中はそろそろ本当にそういう形になりつつあると思ってます。

人生って普通に生きているだけじゃ虚しいじゃないですか。ただでさえ労働や育児で疲れるのに、そうしているだけじゃ後に残るものが少ないんですよ。家とか、子供とか、お金とか、それだけですよ?これってまずくないですか??

だから、人々はそろそろ普通に生きているだけじゃ物足らなくなって、「社会的意義のある活動」に手を出し始めるはずなんです。

それが、お金はあるけど時間はない人にとっては寄付な訳で、時間はあるけどお金はない人にとっては社会活動な訳ですよ。


稼いでも虚しく、自由になっても虚しい

人が求めるものって何なんでしょうか?

幸せ、自由、お金。

本当にそんな程度のものなのでしょうかね?

幸せを求めて家庭を築いたり、自由を求めて効率の良い生き方を模索したり、お金を求めてたくさん働いたり。周りに見える大抵の人はだいたいそんな態度のことしかしていません。

でもそれって、結局大したものを残さないと思うんですよ。自分が子供を作らなくたって発展途上国の人たちがウジャウジャ子供作ってますし、自由になってもやることないし、お金は使ったらおしまい。もう鬱です(笑)。

どれだけ頑張っても普通に生きているだけじゃ、家族、家、お金、それぐらいしか残すことはできません。だから、人にはもっと「高次元の欲求」があっていいはずなんです。僕はここが人々の生き方を大きく変えると思ってます。


人々は自分の存在意義を求めるようになる

普通に生きていても虚しいんです。だから、人々はこれから社会的意義のあることを求めるようになります。それは言い換えれば、自分がこの社会に存在している意味を求めるようになるということ。

意味の無いことばかりやって生きているから、普通の人生は虚しいんです。もっと社会に還元されるような活動を積極的に行っていかなければ、人生に意味を持たせることは難しいでしょう。

なので、これからの人々は社会へ積極的に参加していくようになっていきます。特に地域社会に参加することで、社会の一部であることを実感したり、地域社会の仕組みを変えて行ったりするはずです。

やっと「今を生きる」という言葉の真価が発揮されるようになりますね。人々は「会社の歯車」から「社会の歯車」へと回帰し、社会の一員として意味のある人生を送っていることの実感を取り戻すようになるんです。


稼ぐ者は寄付をし、自由な者は活動する

と言っても、会社で忙しく働いている人達はなかなか社会活動に参加することができないかもしれません。それでも、社会活動を行なっている団体や個人に寄付をすることで、自分の人生に意味を足すことはできます。

そもそも、お金を稼ぐのが上手い人はそれに徹した方が効率がいいんですよ。なので、これから世の中は「忙しく働いて大金を稼ぐ者」と、「あまり働かずに自由を謳歌する者」に二極化すると思います。

そこには「収入の格差」なんて概念もありますが、あまり問題ではありません。妥協しまくれば非正規労働者でも結婚して子育てできますからね。

で、そう言った低所得世帯や片親世帯などを手助けする団体と、それに寄付する人たちがいて、そうやって社会は回っていくんです。

要は稼ぐ者は寄付をし、自由な者は社会活動を行うということ。それぞれに社会的役目があるのなら、わざわざ平均化しようとしなくていいんですよ。むしろ格差を作った方が効率的でいいと思います。



社会活動が地域社会の仕組みを大きく変える

最近流行り始めている「子供食堂」なんかがそうなんですが、これから地域社会に参加する人が増えるほど、その仕組みは大きく変わってくるんじゃないかなと。

例えば子育てを行うのが難しい家庭に対しては、その子育てを親が負担するのではなく、地域がやってのけて、後はそこに寄付をする人々が現れる、という形。

そうすることで、そこには子供を産む人と、子供を育てる人と、そのための資金を調達する人とが発生します。それらは元々この社会に存在するのですが、分業することで人々に役目と繋がりが生まれ、地域社会が発達するのです。

これから社会活動を行う人が増えれば増えるほど核家族の壁は壊れ、そこには横の繋がりが発生するようになります。それは、言い換えれば「家庭活動の分業化」が起こるということなのかもしれません。

地域でやることと言ったら今のところ「祭り」以外には何も無いんですよね。それがこれからは公民館を利用した学童や子供食堂、学習塾など、家族のあり方を変えてしまうようなサービスにまで発展しそうです。面白いですね。



Amazonと同じ感覚で寄付ができる仕組みが必要

社会活動と言ってもやはりお金がかかりますから、そこには寄付をする人が必要になってきます。ですが、今のところこの社会には寄付を簡単にしてくれるサービスというものがありません。

買い物はかなり便利になりましたよね。ネットで注文した物が一週間以内には家に届くようになりました。

買い人がいれば出品する人がいて、それでうまく回っている感じなんですが。なら、寄付も納付する側と募集する側でうまく回せばいいと思います。

クラウドファンディングというサービスはありますが、もっと、商品棚の商品を買い物かごに入れるような、そんな手軽な感覚で寄付ができる仕組みがそろそろ必要なんじゃないかなと思い始めたところです。

それこそAmazonとか楽天みたいな感じで。だれか、お願いしますよ!



最後に

格差の問題とか、貧困の問題とか、何かにつけて「問題」とつけたがる節がありますよね。でもそれって、実は社会の仕組みが変化する途中の引っかかりみたいなものであって、別に先を見通せばそこまで深く考えることでもなかったりします。

誰かが小さく初めてしまえば、後は一気に広がりますから、別に議論を徹底的にこなす意味は無いんじゃないかなと。

さっき出した「子供食堂」も、「そんなようなものが必要だ」ってところまでわかればいいんですよ。議論なんてその程度でいいんです。それよりも、実際に活動をする人が増えないといけません。

僕は議論というクソ面倒臭い過程をすっ飛ばす活動をしていくので、誰か、ネットショッピングと同じ感覚で寄付が行えるようになるサービスを開発してください。お願いします。

ありがとうございました。バンカラ道をよろしく。