社会貢献したい人達が皆ジャンルに関係なく絶対にやるべきこととは?

金原です。

僕のブログでは、今のところ「社会貢献とは何か?」について書いた記事(こちら)が一番読まれているのですが、おそらく、この記事を読んでくださる方達は「具体的にどうすれば社会貢献になるのか?」についても知りたがっているんじゃないでしょうか。

そこで、今回は、社会貢献の絶対条件というか、「具体的にどうすれば社会貢献になるのか?」という、社会貢献の「共通項」について書いていこうと思います。


具体的な話なのに共通項と言うと、なんだか矛盾してるように聞こえますが、実は、社会貢献にはジャンルに関係なく共通した条件というものがあるんです。

要するに、「社会貢献したい人が皆必ずやる必要があること」なのですが、これを知っておくと、活動が行き詰まった時に悩んで止まってしまうことがだいぶ減るので、知っておくといいでしょう。


で、先にネタバレすると、その共通条件っていうのが、「様々なジャンルを勉強し続けること」です。

「それだけかよ?」と思われそうですが、これが非常に重要で、その重要性を正しく理解しておかないと、大変なことになってしまいます。

活動で行き詰まった時にやることがなくなって時間を無駄にしてしまったり、正しい行いをすることができずに失敗に終わったり、最悪の場合は他人に迷惑がかかったり、社会の足を引っ張るだけで終わってしまったりするのです。


これではせっかくの「何かしたい・役に立ちたい」という気持ちが無駄になってしまいますよね。

それを防ぐためにも、今回は「社会貢献において、なぜ、勉強することがそこまで重要なのか?」について書いて行きますので、よければ読んでいって下さい。



一人一人が勉強するだけで社会が進歩する

まず認識してもらいたいのが、「人類一人一人が勉強するだけで社会は大きく進歩する」ということです。

これは、簡単に言えばそういうことだ、という話なのですが、細分化するとより重要性が深く理解できるようになります。


一人一人の勉強によって社会が進歩する理由には、大きく分けると3つあると思っていて、それぞれ以下のような感じです。

・個人の質が上がれば社会の質も向上
・個人の生活と社会は連動している
・社会貢献の糸口や技術が手に入る

では、それぞれ軽く解説しましょう。


個人の質が上がれば社会の質も向上

社会というものは「個人の集まり」なので、個人の質が高まれば、それだけ社会の平均的な質も高まることになります。

なので、一人一人が仮に自己中心的だったとしても、自分の生活や人生の質を高めるために勉強し続け、改善を繰り返していけば、これだけでも社会全体のレベルが上がっていくことになるのです。


「どんな風に個人がレベルアップするのか?」ということを整理するなら、例えばこんな感じで3つに分かれると思います。

・人格のレベルアップ
・知恵のレベルアップ
・能力のレベルアップ

実は、これらは「社会貢献するときに必要な人間性の要素」でもあるので、ついでに書いておくことにしました。


人生の全ては勉強だとも言えますが、そこから身につくのが、何をどうすべきか?という良し悪しのところであり、特に重要なのが「人としてどうあるべきか?」という人格の部分です。(これが無いと、そもそも社会貢献しようと思いません。)

また、何をどうすべきか?という良し悪しは、「こうすればこれを成し遂げることができる」といった、実際に役に立つ知識、つまり知恵を授けてくれます。(気持ちがあっても、解決方法が分からなければジタバタするだけです。)

そして、何かを成し遂げるための学びがあり、実践を繰り返しさえすれば、それは実際の活動で必要となる能力につながるのです。(解決方法が分かっても、能力が追いつかなければ何も成し遂げることはできません。)

ただ、実際には環境が恵まれなかったり、何かしらの病気や障害を持っているせいで勉強も実践もできない人が大勢いるので、これだけだとただの理想論みたいなものですね。

それでも、個人それぞれが勉強することで「社会の平均値」が向上するという事実は変わらないので、これだけでも社会貢献するためには勉強するべきだというか、「勉強することが社会貢献につながる」ということが言えるはずです。


個人の生活と社会は連動している

一人一人が勉強するだけで社会全体が進歩すると言いましたが、それは「個人の生活と社会の動きが連動している」からだとも言えます。

例えば、これは僕がよく使う例なのですが、食品スーパーで健康的な食品を買う人が増えれば、社会にはより健康的な人が増えるんです。

当たり前っちゃ当たり前の話なのですが、フタを開けてみると、その「連動している」ということの意味がよく分かると思います。


健康的な食品を買う人が増えれば、企業が健康的な食品を多く扱う様になり、健康的な食品の選択肢が増えれば、より健康的な食品を買う人が増え、健康的な食品がより多く売れるようになれば、最終的には商品の単価が下がり(初めは高騰するが)、価格が下がればより多くの人が買うので、より健康的な人が増えていく。

…と、こんな風に、消費者達の「投票ゲーム」みたいな感じで、健康的な商品と不健康な商品が市場を奪い合っているわけです。(今は圧倒的に粗悪品が優勢)


ここでポイントとなるのは、食品スーパーに行くと、例えばゼロカロリーヨーグルトみたいな、「一見健康そうだけれど、実際にはメチャクチャ体に悪いもの」が売っていたり、かなり不健康だけど、「どれぐらい体に悪いか分かりにくいもの」がたくさん売っていることです。

これは、食に対する良し悪しが身についていれば感情レベルで避けることができますが、何も知らない人達はなんとなく買って食べてしまいます。

そしてスーパーに不健康なものの方が多く並んでいるのだと考えたら、一人一人が勉強するだけで、健康的なものを買う人が増え、結果的には市場全体がより健康的なものとなっていくということが言える訳です。


つまり、「一人一人が勉強するだけで市場が変化し、社会が変わる」ということなのですが、市場に不健康な商品が多いところを見ると、勉強していない人が非常に多いということが分かりますね。(残念な気持ちです。)


社会貢献の糸口や技術が手に入る

上記の2つは「個人の生活レベルが与える社会への影響」みたいなものなのですが、ここで言うのは、実際の「社会貢献をするために役立つ知恵」が身につくということです。

勉強をして自分の生活レベルが高まるということは、それだけ生活レベルが低い人たちとのギャップが生まれ、そこに一種の社会問題があるという認識を発生させてくれます。


さっきの食品の例で言えば、こんな感じでしょうか?

「自分はこれだけ食事を変えて、肌の調子も良くなったけれど、周りの人達は依然として悪いものばかり食べて、見るからに不健康そうな身体をしているな。」

「自分は勉強することによって食事が変わったから、きっと他の人たちは食に関する勉強をしていないのだろうな。」

「これと病人やガン患者、障害児などの増加を考えると、一刻も早く食に関する知恵を伝え広めなければならないね。」


勉強をすれば、自分の生活レベルが高まるだけではなく、社会の何が問題で、それを解決するためにどうするべきなのか?という解決策までもが判明します。

また、例えば最新技術やビジネス、コミュニケーションなどの様々な勉強をしていけば、実際に活動する時に必要な技術やノウハウも手に入り、つまりは「能力」を高めることもできるのです。


要するに、目的を達成するまでの「道を拓く」ことができるということですね。

世の中に「社会貢献したいと思う人」が常に一定数いるとすれば、その人達には目的を達成してもらわなければならないので、そのための道を作るためのも、様々なジャンルについて勉強してみるべきなのだと思います。



なぜ様々なジャンルを勉強するべきか?

さっきから「”様々なジャンル”について勉強すべきだ」と言っているのですが、これは、言い換えると「個人や社会と関わりのあることを手当たり次第学ぶべきだ」と表現することもできます。

現実が抱える問題というものは、技術とか、環境とか、歴史とか、細かいことを言うと、人々の生活とか、健康状態とか、精神状態とか、それが例えたった一つの問題であっても、本当に色々なことが絡み合っていることがほとんどです。

なので、例えたった一つの問題を解決しようとした時であっても、その活動全体を考えれば、結局は非常に幅広い知識が必要になるんですね。


例えば、「ゴミのポイ捨て」一つ無くそうとしても、捨ててしまう人々の精神状態や発達過程、当人達の家庭環境や社会の雰囲気やみたいなものまで考える必要があるし、その向こう側でさらに広がっていくものがあります。

つまり、人々や社会が抱える問題を解決しようと思ったら、様々なジャンルについて勉強し、考えていく必要があるということです。


理想としてよく言われているのは、得意分野として最低でも一つ、あるいは複数の秀でた分野を持ち、それ以外は広く浅く学び続けること。

理解と思考を深めるためには広く浅い知識が必要になり、実際に活動する時に突破口を作ってくれるのは得意分野、という感じでしょうね。


まあ、学びは自分の生活も豊かにしてくれますから、勉強して損することはないはずです。

今はインターネットもありますし、学び放題学んで解決できる問題の幅を広げましょう。



まずは己のための勉強。余裕ができたら他のための勉強。

これもついでなのですが、社会貢献して生きていく上での鉄則というものが一つあります。

それが、「まずは自分のために活動し、余裕ができたら、その余裕を使って貢献していく」ということです。


さっき言った様に、個人と社会は連動しているので、自分の生活レベルが上がれば、それだけも社会にいい影響を与えることができます。

それに、余裕がない人に対して「社会貢献しろ」なんて言っても、その人にはその人の生活ってものがありますから、理不尽なだけです。

だから、始めは自分のことだけで精一杯でも良いから、「まずは自分のことをしっかりやる」ということが重要になるんですね。


始めは自己中でも迷惑をかけなければOK

余裕がない人っていうのは、他人や社会に貢献しようとしても、時間やお金が足りなかったり、そのためのエネルギーが湧いてこなかったりします。

そんな状態の人に対して「社会貢献しろ」なんて言ったら、一種のモラルハラスメントだと言えるし、それを言った人は、そもそも相手のことを考えていませんから、「まずはお前が貢献したらどうなんだ?」と言いたくなりますよね。

なので、始めは自己中だと思われても良いから、まずは自分を守り、生き抜くこと。

そして、余裕が出てきたら次に生活を整え、さらに余裕が出てきたら他に対して貢献すればいいのです。


もちろん、人様に対して迷惑がかかる様なことを意図的にやるのはダメですよ。

それぐらいだったら生活保護でも受けていればいいですから。

ただ、こんなことを言えるのは、制度がある程度整った日本みたいな国だけかもしれませんね。(と言っても問題だらけですが。)



まとめ

人類は進歩していきますから、そこに変化があり、子供が頭空っぽの状態で生まれてくる以上は、問題が絶えることはないでしょうね。

なら、一人一人が学び続け、まずは自分の問題だけでもいいから解決しようと努力することが必要だと言えます。

そして、人間である以上は、例え自分一人のことであっても非常に多くの知識・思考が絡んできますから、可能な人全てが様々なジャンルについて学ぶべきでしょうね。(とは言っても強制はできませんが。)


活動の輪を自分から家族や職場、他人などに広めていったときには、より広い知識が必要になります。

さらに、学問も時代とともに進歩していきますから、勉強には終わりがないということがよく分かるわけです。


仮に、一人一人が学習によって「人格・知恵・能力」のそれぞれを身につけ、自分の生活に余裕を持ち、社会的な交流の中で共に諸問題を解決しようと活動できたら、そんなに楽しいことはないと思います。

僕自身は外で活発に活動したり人前に立ったりすることが苦手なんですが、その代わり、今回話した様な「勉強の大切さ」というものを多くの人に実感してもらい、個人の生活とともに社会全体が発展していけばこの上ない幸せです。


「勉強」は人類共通のテーマだと思ってます。

そういう意味では、互いに切磋琢磨し、共に社会を変えていきましょう。


それでは、今回はここまで。

ありがとうございました。