教育とは何か?それは人に影響を与える「全ての環境」のこと

金原(@relaxziizi)です。

教育こそが立派な人間を育て、人類の底上げを図るたった一つの方法になります。その「教育」という言葉に興味を持っているあなたは結構意識レベルやモラルの高い人かもしれません。

ただ、教育って何なのか?をハッキリしようとすると、調べてみないと良く分からないという人が多いんじゃないでしょうか?一言で表現するのも難しいと思います。

なので、今回は「教育とは何なのか?」をハッキリさせてしまいましょう。どうしたら変えていけるのかや、これからどうなっていくのかも話していきます。

まずは言葉そのものの意味から。



「教育」という言葉の意味

教育の意味。それは、「教える」と「育てる」の意味を調べれば簡単に理解できます。

調べてみると、教育という言葉には様々な定義があるようですが、簡単には「教え育てること」です。

で、教、育、それぞれの意味は以下。

☆教える:
・知識を伝える
・物事の道理を理解させる
・知識や技能が身につくように導く
・悟らせるよう導く

☆育てる:
・一人前になる為の手助けをする

では、まとめてみましょう。


要するに立派な大人を育てること

先に「育てる」ですが、「一人前」っていうのは「大人であること」を指すので、大人を育てる手助けをするっていうのが一つ。つまり、大人を育てる為の手段として「教える」という手法がある訳ですね。

で、「一人前」には「大人に見合った能力を身に付けていること」という意味もあるので、言い換えれば、「立派な大人を育てる」為の手段が「教える」ということになります。

じゃあ、「教える」って何なの?という話なのですが、これは一言で言えば「育つように導くこと」ですね。

上記(☆部分)の様な教えるの意味には2タイプある様に思えます。

・知識をそのまま伝える
・考えさせて理解させたり気付かせたりする

で、この2つを抽象化して一つにまとめると、「導く」という言葉が当てはまるんですね。知識をストレートに伝えるにしても、考えさせて悟らせるにも、結局は「立派な大人に育つよう導いている」訳です。

もう、「教える≒導く」でもいいんじゃないでしょうか。

で、この「導く」という部分が、教育ってそもそも何なの?という部分に繋がっていきます。



良い教育もあれば悪い教育もある

一つ考えておいて欲しいのは、全ての教育がしっかりと立派な大人を育てている訳では無いということ。見出しの通り、教育には善も悪しもあるのです。

例えば、昔の日本の教育現場(学校)では、体罰やパワハラが当たり前でした。悪いことをすれば罵声を浴びせてゲンコツ一発。

体罰は人と場合によっては優秀な教育方法かもしれませんが、かなり特別なケースだと思います。その良い効果よりも、「暴力」という悪い文化を広め、定着させてしまうという悪い効果の方が大きくなってしまうでしょう。

それが立派な大人を育てることになるか?と言えば違いますね。

何が言いたいかと言うと、人を悪い方へ導いてしまう要素も全て教育に含まれると言うこと。良い影響があること、悪い影響があること。その「全て」が教育なのです。

「”全て”って言うと違うんじゃない?」と思う人もいると思いますが、ここが教育のミソ。



全ての環境は教育に繋がる

先ほど、言葉の意味のところで、「教育とは導くことだ」と話しました。そして、悪い影響のあることでも教育は教育なのだということも話しましたね。

ここから分かることがあります。それは、人の周りにある環境全てが教育であるということです。

「導く」という言葉には「道案内をする」という意味もあります。ならば、「こっちが天国であっちが地獄」という案内に対して”地獄に行ってしまった人”がいたとしても、それはそれで導いていることになってしまう訳です。

この世で人を導いているものとは何でしょうか?

人はあらゆる物事から刺激を受け、影響されます。それは時に自然環境だったり、人工物であったりします。

・大自然、都会
・メディア、広告
・世間体、噂
・家族、友達、学校の先生
・街並み、お店の看板…。

それら全てが案内板のようなもので、触れた人々をそれぞれ違う将来に飛ばしていくんです。

警察官の母とヤクザの父に育てられた子供が、その影響を受けて警察になるかもしれないし、ヤクザになるかもしれない。もしかすると、そんな両親を裁きたくて裁判官になってしまう可能性もあります。

要するに、人はあらゆる環境から影響を受けているのであって、意図していなくても導いてしまっているのなら、それは教育なのです。つまり、あらゆる環境は教育だと言える訳。

では、そんな教育を「改革する」とは、一体どういうことなのでしょうか?



環境を改善する事が教育改革の本質

全ての環境から人々が影響を受け、良い方にも悪い方にも行ってしまうのであれば、良い方へ進む人を増やし、悪い方へ進む人を減らさなければ行けません。

そして、その根源は「全ての環境」から受ける刺激。なので、学校教育だけでなく、全ての環境を改善し、整えていくことが教育改革の本質な訳です。

教えるのが上手なのは学校の先生だけで良い訳ではありません。家族や友達、ご近所さんたち、できれば全ての人が教え上手になった方が、人々は成長するでしょう。

学校だけが教育にとって良い場所であれば良い訳ではありません。家庭、市町村、できれば国ごと教育にとって良い場所であった方が、人々は成長するでしょう。

だから、メディア、娯楽、サービス、建物、公園、人間関係。そういったあらゆるものが改善されなければ、その国の教育が良くなっていることにはならないのです。

となると、全ての人、全ての企業が教育改革に協力しなければ、その国の教育水準はなかなか上がっていかないことになりますよね。(本質的な意味で)

では、どうすればそのような状態を生み出すことができるでしょうか?



教育(環境)を改善するための条件

あらゆる環境を教育にとって良い方へ改善するには、人々のモラルを育てる必要があります。

モラルというのは、別に心の中で世界の平和を願うことではありません。実際に世の為人の為になる事を考えならながら、生き方について反省し、己と共に世の中や他人を正していく事です。

そんなモラルが全人類に身に付いて行けば、一人一人が生き方を改め、あらゆる環境を構築していく上での行動が変化していきます。

つまり、世界全体が良い方へ変わるという事。これは教育の目的でもあります。なら、それをやれば良いじゃんという事ですね。

で、モラルを育てるためには2種類の教育があります。

・心を育てる教育
・能力を身に付ける教育

これらを身につけるには、世の中や人生、人という生き物の原理原則を広く学ぶ必要があるのですが、逆に言えば、それらを学んでしまえば全ての人がモラルを身につけることも可能です。

・社会の仕組み、構造
・人生とはどういうものか
・人とはどういう生き物か

→そこから発展して

・経済、歴史、裏事情、社会問題
・レベルの高い人生を送るには
・健康について、スポーツ科学、体壁…。

そういったありとあらゆる事を学ぶ事で、人は一人一人がレベルの高い人生を歩む事で世界も正されていく、という事を学ぶのです。

では、どのようにしてモラル教育を発達させて行けば良いでしょうか?



学校教育の外側から変化していく時代

モラルを身につけるには様々な教養を身に付けて、一種の人間としての合理性を発揮する必要があります。その「様々な教養」ですが、これはもう学校教育によって身に付くものではないと思った方がいいです。

なぜなら、人々が十分な教養を身につけるには、学校教育は効率が悪すぎるし、時間も足らな過ぎるからです。

現行のような国語も数学も理科も社会もやっぱり重要だと思います。そこへさらに詰め込もうとすると、多分時間が倍になり、朝から晩まで学校に缶詰状態になるでしょう。

なので、これからの教育は学校の外側から変わっていくと思われます。以下は、その理由です。


情報インフラが発達

まず、ここ20年間ぐらいで情報インフラが大きく発達してきました。ネットサーフィンするくらいなら、スマホに毎月2000円も払っていればかなりの量を学ぶことができます。電子書籍も登場し、本よりも割安で購入することができるようになりました。

これにより、人は今の自分に必要な情報を自分の好きなタイミングで、自分のペースで学ぶことができます。通勤、通学の空き時間を利用することもできますし、何より高い集中力で学ぶことができますよね。

これだけでも、人が得ることのできる情報の量や質は大きく飛躍したことでしょう。僕自身もインターネットやそこから購入した本などでけっこうな量の勉強をした記憶があります。

で、次はそこから発達する新たな産業です。


民間の教育ビジネスが発達

インターネットは勉強だけではなく、ネット上で行われるビジネスも簡単にしてきました。僕が書いているこのブログも、広告を貼っているのでビジネスの一つだと言えます。

昔はいちいち店舗を構えたり、そのために大金を借りなければならなかったりしました。ですが、今はネット上で、月々のコストは0〜2000円程度で、やりようによっては月何百万と売り上げるビジネスを誰もが始められるようになりました。

ここでやり取りされるのは物とお金もそうですが、そのためのインフラはすでに整っています。なので、ここからは「情報とお金のやり取り」がどんどん増えてくるはずです。

というのは、ネット上に「教育ビジネス」が発達してくるということ。そこからは人々の教養レベルが引き上げられることが見込まれます。


後は学ぶキッカケさえあればいい

教養を身に付けるだけなら今のままでも十分だと思います。ただ、それは運よくリテラシー能力が身に付いたり、勉強するきっかけに出会ったりした人の話です。

どういう事かと言うと、最後は「学ぶキッカケ」がないといけないということです。

人はキッカケがなければ動こうとしないことがあります。それを放っておいては、いくら世界が発達しても、それについて行けない人、つまり、成長しないままの人が沢山出てくるでしょう。

それでは結局、成長しない人たちが世界の教育(環境)レベルを下げ、世の中は蓋を開ければ人そのものはあまり進歩していない、ということになってしまいます。なので、人々に学ぶキッカケを与える工夫をするのです。

学校教育に組み込むのであれば、その学ぶキッカケを組み込めばいいでしょう。そして後はそれぞれ自由に学ばせる事。これでやっと過去の「ゆとり教育」が役に立つんだと思います。

僕もこのブログの中に学ぶキッカケを与える「教育補完コンテンツ」を載せていく予定です。

世の中、モラルという綺麗事だけでは済まされませんが、それでも、少しづつでも、世界が良い方へ変わっていくことを信じて、確信して、これからも発信していきます。

ありがとうございました。バンカラ道をよろしく。