幸福は手段であり目的では無い。生きる為の身体のシステムだ

金原です。

今日も元気に行きましょう。

人生の目的を「幸せ」だと認識する人は多いと思います。

脳科学的に言うと、「セロトニン」を分泌させることだと。

しかし、今回はそれを否定します。

ネズミの脳の幸せを司る部分に電気を流すスイッチを用意すると、そのネズミは死ぬまでそのスイッチを押し続けるそうです。

だから、人を含めた動物は「幸せのために生きている」ですって?

人はみな、生まれながらにして、「脳内麻薬中毒者」であると?

でも、これってヤバい考え方ですよ。

だって、人には「意思」があります。

意思が弱い人は、簡単に麻薬中毒へと落ちて行ってしまいますが、意思の強い人はその逆で、目先の幸せよりももっと「高次元の願望」を叶えるために、自分の人生を創造していくことが出来るんです。

幸せを感じる脳のシステムに支配され、堕落するのか?それとも、幸せを原動力として活用し、願望を叶えるための気力を養うのか?

これだけで、人生には大きな差が出てきます。

人類がこれまでやってこれたのは、明らかに「幸せに支配されなかった」からでしょう。

つまり、幸せはあくまで「体のシステム」であって、自分の人生を創っていく時に活用すべき「手段」であるということです。

今回は、読者さんたちが幸福感にのまれずに、むしろ幸福感を活用して気力を養える様になる、そんな記事を書きましょう。

まずは、「幸せを意識すると操られてしまう」ということから。

幸せ意識して一喜一憂

人間が、生きる目的を幸せだと信じてしまったら?

その瞬間から人々は、今日は幸せだったとか、昨日は最悪だったとか、あの国の人たちは幸せだからいいんだとか、それに比べて日本人は幸せじゃないとか、「一喜一憂」する様になります。

幸せじゃないことの何が悪いのか分かりませんが、「どうしたら私は幸せになれますか?」なんてことで悩み始めるのです。

これってとても”不幸”なことだと思います。

だって、元々はどうても良かったことを、わざわざ悩みの種にしてしまっているんですから。

どこの5歳児が「あの子は幸せそうで良いよな。あーあ、僕も幸せになりたいなー。」なんて呟くんでしょうかね?

これはちょっと、洗脳されるのが早過ぎますよ。

人生は自ら楽しむものだとか、何かのせいにしていたら幸せになれないとか、そういうのは置いときましょう。

むしろ、そういうことを気にし始めるから、それ(自分の精神状態)に左右されてしまう様になるんです。

道を歩いていて、登り坂に差し掛かったら、それだけでいちいち「ああ、やだなー」なんて落ち込みますか?逆に下り坂になったら、それだけでいちいち「足取りが軽いぜ!ヒャッホー!!!」なんてハイになったりしますか?

坂道一つに支配されてしまう心なんて、何かあったらすぐに精神病にかかってしまいそうですね。

なので、まずは「物事に動じない」ということが大切です。

幸福 = 人生の原動力

ただ、動じないだけでは精神が無の状態になってしまいます。

それが良しとする宗教もある様ですが、それだけでは人を助けない、世のために貢献しない、最悪の時は、自分の人生に満足して自殺してしまうでしょう。

これは、インドの修行者の中では実際にあることだそうです。

これでは、自分の人生を創造するどころか、むしろせっかく授かった一度きりの命をダメにしてしまうことになりますから、「もったいない」ですよね。

やはり、人間たるもの、他者や大自然との「関係性」の中にこそ、その人間たる由縁があります。

土に種が落ちて、水と日差しで芽が伸びて、花が咲き、いずれは虫がやってきて受粉する、…なんていう植物にさえも他との関係性があるわけですから、人間となれば、それはもっと複雑で意味のあるもとなるでしょう。

つまり、人間というものは、他人、社会、自然に関わってナンボのものなのです。

そこで貢献しようと思う、何かを成し遂げようとする、ああしたい、こうな成りたいと望む。

こういう善なる欲求があってこそ、人間はヒトではなく人間だと呼べるわけです。

そして、それらの欲求が生まれるのは、その欲求が叶った先に幸福が待っているからですよね。

だから頑張れる。

つまり、人は幸福感のために生きているのでは無く、幸福感が待っているから頑張れる訳です。

自分が努力できる様に、「幸せが応援してくれている」んだと、こう捉えた方が健康的だと言えます。

目的の為に気力を養う

幸福感というものは、頑張って苦しい時を乗り越える「気力を養う」ものだと言えるでしょう。

空腹でも頑張って狩に出かける。

傷が痛くても耐えて消毒する。

その先に食べ物にありつける幸福があったり、体が元気になる幸福があったりする訳です。

そして、気力は、その辛い時を乗り越えるために必要となります。

あるいは、何か自ら行動を起こす時にも必要でしょう。

マイナスの状況を諦めずに抜け出し、無からプラスの状況を生み出していく。

人生は気力(エネルギー)次第とも言えると思います。

そんな気力と幸福感を結びつけるなら、「妄想」が一つのポイントとして外せません。

自分が、他人が、世界が、それぞれ「もっとこうなったら良いだろうな」と妄想することで、未来と現在がつながります。

そして、その未来と現在の間にある、苦しい時を乗り越えるための、気力を養うのです。

動き出したエンジンが温まるのと同じ様に、自分の願望を達成して幸福感を得るサイクルが馴染んでくれば、そこからは意図しなくても心身が動く様になります。

そして、より少ない燃料、より少ない電力で活動することができる様になると。

「もっと幸福感を味方につけて、どんどんアクティブに活動できる様になれたらな。」

始めのうちは、こんな風に妄想して、気力養っていくと良いかもしれません。

まとめ

幸せが全てだから、堕落してでも幸福感を得ようとする、なーんていう終わった状態から、幸福に応援してもらって、願望成就へと向かう気力を養う「プラスへの転換」を行う。

これが一つの成長というものです。

大人の階段を登る前、子供は決まってこう言います。

「ねー、お菓子買ってよー!」

この世界を楽しむという意味では、それも一興でしょう。

ただし、それだけを正しいと信じて、本当に麻薬の様なジャンクフードに埋もれていく様ではダメです。

最後は身体を病み、精神を病み、人生を台無しにし、世界を腐敗させます。

あなたは、そんな人間になりたかったのでしょうか?

大切なひとに堕落してもらいたかったのでしょうか?

終わった世界に住んでいたかったのでしょうか?

違うはずす。

なら、まずは妄想しましょう。

ただ、それをただの妄想では無く、「現実の延長線上」に持ってくること。

その未来と現在の連結が、本当に幸福な人生への始まりなのです。

それでは、明日も心技体、それぞれ磨いて参りましょう。

ありがとうございました。

PS
メッセージフォームから無料の相談を受け付けております。

特に、普段の生活や人間関係においての話には、お役に立てると思うので、何かあればどうぞいらっしゃい。

それでは。