地位が高い生まれも低い生まれも不幸。中級で自由なのが一番幸せ

金原です。

僕は去年あたり(2018年)から、「天辺(皇族)より一個下ぐらいの地位の家庭に生まれ育った」という老人と何度も食事をしているのですが、その人のお話を聞いていて気付いたことがあります。

それは、「地位が高い」ということと、「それが良いかどうか?」は話が別だ、ということです。

つまり、高いところには高いところの良し悪しがあり、低いところには低いところの良し悪しがある、というだけで、「良さのレベル」は天辺も底辺もあまり変わらないということ。

この社会は上にも下にも様々な人がいて成り立っているので、それぞれに感謝しないといけません。

ただ、世の中には「地位が高い」ことと、それが「優れている」ということをすり替える人がいる(さらに、そうやって地位を悪用する人がいる)ので、今回はそこを正したいなと思いました。

ということで、「上過ぎるもの下過ぎるもの不幸なことで、自由に動ける中位が一番良いよね」というのが、今回のお話です。(もちろん個人差もあります。あくまで総合的な評価です。)

ではいきましょう。

人が上級層に抱く幻想

まず目覚めてもらいたいのは、「高級な暮らしや人生はさほど良くない」という部分。

ここで言う”高級”とは、贅沢もそうですが、主に「地位が高い」ことを指します。

例えば、政治家や外交官の家系とか、天皇家などの暮らしを想像して貰えばいいです。(財閥とかもかな?)

そして、”良くない”というのは、「下級層と同じレベル」だと思ってい貰えたらいいですね。

もちろん何がどう良いか?悪いか?の中身は上と下で大きく変わってくるのですが、「総評」で付けるポイント(点数)が同じくらいになってしまうという…。

まあ、これは、「真ん中の地位からどれくらい離れているか?」その距離が同じだ、ということです。

もうちょっと解説してみましょうか。

上級層は数が少ないから特別感はある

上級層と下級層とで分かりやすい違いの一つが、「数」です。

上級層はごく一部で、下級層がウジャウジャいます。

…なもんで、自然に「希少価値」は上級層の方が高くなり、出会えたらなんかラッキーかも?・・・となるわけですね。

まあ、芸能人に会える確率、みたいな話です。

そこから転じて、”なぜか”上級層の生活や人生に憧れを抱く「盲目者」も多いらしいですねこれが。

ただ、上級層の暮らしを「無条件に良い」と評価にはちょっと遠い気がしますね。

なぜなら、彼らには本当の自由が少ないからです。

重い責任や宿命を押し付けられたら?

上級層の人間には、大きな「責任」や「宿命」が付きまとう事があります。

政治家になる者として育てられたり、
外交官になる者として育てられたり、
社長になる者として育てられたり、
そもそも皇族だったり。

そして、そういう家系は、ルールやしつけが厳しかったり、社交が面倒だったりします。

外交官になるよう育てられる子供は、日本人なのに味噌汁やご飯が食べさせてもらえず、代わりにトーストやハムエッグやソーセージなどの朝食ばかりが出てくるらしいですよ。(日本人の体にはかなりのストレスだと思います。)

毎日、朝から晩までスケジュールが決まっていて、門限があり、身の回りのことはほとんどお手伝いさんがやってくれて、「歩き方」や「笑い方」にもルールがあるだなんて。(皇族の生活は計り知れないですね。)

そして、これは他の地位も同じですが、だんだんと「これが当たり前なんだ」と刷り込まれていく。

これが本人の望んでやっていることならいいですが、残念ながら親の都合ですね。(「世の中の都合」とも呼べるかもしれません。)

悪い言い方をしたら、本人への「押し付け」で人生が一本に決まってしまうのです。

親、家系、伝統、社会から受ける、「人生レベルの重圧」。

あなたはそれを望みますか?

それに運命を感じてときめく事ができるのなら、底辺のスラムや戦地に生まれ育ってもだいぶ楽しめるでしょうね。

底辺の一人も立派な「ただ一人の特別な存在」なのですから。

位置が高いだけで良さは下級民族並み

上級層の良くないところを具体的に上げて行ったらキリがなくなるのですが、まあ、その程度(レベル)は「底辺と同じ」だと思ってください。

さっきも言いましたが、その理由は「真ん中からの距離が同じ」だからです。

この意味ですが、これは僕が中級民族が一番幸せだと思っているからなんですね。(真ん中=中級民族)

一人や一代で成り上がって贅沢な暮らしをしているのは、だいたい中流階級の人間だと思います。

彼らは自由で、チャンスが多くあり、幸運に恵まれる確率も高いからです。

その中で、潜在能力があり、高い望みを持ち、恵まれる事ができれば、それぞれの成功を手にすることは簡単です。(今の日本なら。)

逆に、そうではないのが上級層の人間と下級層の人間。

仮に、経済的に余裕のある家庭で、家族からの愛や教養だけでなく、自由にも恵まれたら、より成功する可能性は高いと言えます。

しかし、今の日本では、そんな家庭はほんの「ひとかけら」ほど。

実際には、お金ばかりかけて中身のない教育をする成り上がり家庭(中身は下〜中級家庭)や、血統証付きの堅っ苦しいお金持ち家系がほとんどなのです。

お金があった方が人生の自由度は高まりますが、中級の家庭からは、お金よりも「知恵」の方が重要になってきます。

その知恵が、例えば皇族に生まれ育ち、お手伝いさんとルールに囲まれて、自由にスマホを見れない環境、自由に旅できない状況となった時、果たして身につくのか?疑問です。(もちろん、皇族特有の帝王学的なものはあるでしょうがね。)

高と良をすり替えるな

で、僕が今回の記事で言いたいのは、「高さと良さをすり替えてはいけないよ」ということ。

もう、僕の感覚だと、その人の地位が高いか低いか?なんて、その人の業種が何か?ということを「分類分け」しているだけに過ぎないのです。

要は、「位置」の違い。

スポーツにおけるポジション。

選手なのか?監督なのか?コーチなのか?ジャッジマンなのか?

世の中には、上下左右があります。

人間の分布図が三角形だった時、高さと底辺の長さがあるだけ。

その位置を測る物差しが「上下」であるなら、自分がそれに向いていると思わない限り、天辺も底辺もやめておいた方がいいです。

ということで、地位が高いか低いか?という表現は、別に「評価のことでは無い」という事が言えます。

物事を評価するときに使うべきなのは、それが「良いか?悪いか?」です。

高い低いではなく「良いか悪いか?」

テレビゲームでのポイントを多く稼いだ少年Aと、あまり稼げなかった少年Bがいたとします。

もちろん、その「ゲームの中」ではポイントが高い方が優秀な結果だと言えるでしょう。

しかし、もし、少年Aの方がゲームのプレイで体力を激しく消耗し、不健康な状態に陥っていたら?

もし、少年Bの方が気楽に楽しんでいて、その時の健康指数も幸福度も高かったとしたら?

人生や社会的意義という、より大きな物差しでそれを測ろうものなら、「実は少年Bの方が優っていた」と言えるかもしれません。

世の中には「大義・小義」という言葉があり、大きな枠で活躍する人間と小さな枠で活躍する人間とがそれぞれいるので、本当にどちらが優れているか?は環境や生き方によっても異なります。

ただ、物事を評価するときには、各ポイントを見た上で、最後に「総合的な判断」をするべきなんですよね。

で、結局、それって良いの?悪いの?

というだけのお話。

責任を背負う人達は確かに多いけどね

上級層の人間には、確かに大きな責任を背負う人がたくさんいます。

ただ、そこで偉そうに振舞ってしまったら、せっかくの「人間の格」というものが下がってしまいますし、富士山が噴火する現象も”ど偉い”事ですからね。

その責任者達に感謝すべきなのは当たり前ですが、それは「数ある内の一つのタイプ」に過ぎません。

下の人間にも沢山いてもらわないと困るわけで、たまたま上の人間に「数が少ない」という特性があり、下の人間に「数が多い」という特性がある、という性質の違いがあるだけなのです。

なので、それぞれ他人に迷惑かけずに真面目に生きていれば、上でも下でも偉いですし、それぞれがお互いに感謝しなければいけません。

それが人の道というものです。

占いをするなら総合的な評価もしよう

もうなんとなく分かると思いますが、人間の分布に対して上とか下とかっていう言葉を使うのは、「占い的観点」の一つです。

占い的観点というのは、物事の性質を分類分けする、という事ですね。

「あなたは牡牛座的な性格ね」
「あなたは魚座的な性格ね」

…というように、

「あなたには上級層の生活が向いてるね」
「あなたには下級層の生き方が向いているね」

…という表現ができます。

これは、その枠(獅子座とか、中級層とかのこと。)への総合的な評価に対して当てはめているのは、言わなくても分かると思います。

誰もコーラの炭酸の強さだけを評価して、「どうだ!コーラが飲み物の中で最高なんだよ!」なんて言いませんよね?(他にも酸味とかカロリーとか、色々要素はあります。)

なのに、上級層の華やかなところだけをピックアップして、「それが今の社会において最高」と勘違いしてしまったり、そう勘違いさせる表現を使う輩がいるのです。

「占いなんて信じるか!」とかいう前に、占い的な表現を使っている分けですから(というかそんなの関係なく)、限られたポイントだけでなく、総合的な判断をする事が、物事を評価する上では重要ですよ。

「自由な中級」が最高

じゃあ、どの地位なら良いわけ?という所まで来ました。

物事を極めるときに言うような「上級編」は話が別ですが、社会の地位においては、ダントツで「中級がオススメ」です。

これは別に、企業の中間管理職が良い、などと言っているわけではありません。

企業にも位置関係があり、消費者を間に置いて、お金はその中でぐるぐる回っているのです。

「天下の回りもの」の中に、上も下もあるのでしょうか?

なので、これはちょっと難しい話ですね。

それより、もっと世の中を適当にザックリと分けた時の「上・中・下」でどれが良いの?という、ほんと、ザックリとした占い的観点のお話と思ってください。

物事はバランスを取りつつ行うと良い

で、なんで中級層が良いか?はもう話しましたが、これをもっと抽象的に、応用が効くようにお話しすると、こうなります。

「物事はなんでもバランスをとって行うべき」

占いには中庸(ちゅうよう)という言葉があるのですが、意味は、ある程度バランスを取ると良いよって感じです。

なんでも、時と場合によっては行き過ぎて突き抜けるぐらいの方がいい時もあります。

ただ、それはそれが当てはまる稀な場合の話です。

筋肉トレーニングで、たまにはゆっくりやってみたり、逆に早くやってみた方が効果が出るのと同じですね。

他にも、完全栄養食が自分の好みでも、たまには他の料理を食べたいとか。

完全なバランスが取れた「静止」、よりも、”ある程度”のバランスが取れた「正的」という言葉がふさわしいでしょうね。

バランスが良過ぎると、効果が薄れるし、飽きるし、対応力を失います。

健康も同じで、毒素が少ない食事を取るのは基本なのですが、そればっかり徹底してやっていると、そのうち毒素への適応力が失われ、うっかり食べた瞬間に体調を悪くしたりするのです。

こういう事が人間の分布にも言えて、上級層や下級層の生活を体験してみるのは良い経験につながるのですが、そこに一生いると何かしらの弊害があります。

例えば上級層の人なら、下層へ降りたときに社会に揉まれて苦しんだり(騙されたり、タカられたり)、人々の民度に低さを感じて蔑んだ(さげすんだ)物の見方になったり、人を見下したり。

下級層の人なら、チャンスやお小遣い(寄付)などを人から与えられるまで自分では何も工夫をしようとしなかったり、どこへ行っても言動が汚くてお粗末だったり、そのせいでご縁に恵まれなかったり。

中級層でも、真ん中にい過ぎると、そこから自由に動き回る能力をなくしたり(堕落)、変化するのが怖くなってしまったりすると思います。

なので、真ん中”ぐらい”でバランスを取った生き方が一番いいのです。

中心から自分の望む方へ進む方が有利

中級層の利点はまだあります。

それは、「真ん中からの方が自分の好きな方へ行き来しやすい」というところ。

生まれと育ち、特に自分が帰ることのできる「家庭」が中級の位置にあると、そこから上下の世界を自由にみにいくことが出来ますよね。

ある程度経済的に余裕があり、行動も自由で、年に数回旅することができる、と行った具合に。

これが様々な知識、出会い、経験、知恵など、様々なものを得るのにつながるわけです。

そこから創造的な活動をすることも自由ですし、とにかく開放的なのではないでしょうか?

まあ、世の中には粗末な状態とか拘束を受けた状態が好き、とか、人前で目立ったりとか部屋に一人でこもっているのが好き、という方も少数おられるので、そういうコアな方達には上とか下の世界もマッチするかもしれませんね。

要は、中級層の中庸的な人生がより一般的ですよ、というお話。

偏った環境には覚悟と責任を感じよう

ということで、中級層がより有利なわけですが、人にはあえて上や下の生活に移る権利と自由があります。(人によってはない場合もありますが。)

その時、自分が特別好きな方や自分に向いている方があれば、わざと位置を上下にずらしてみるのも人生です。

ただし、そのときには周りの人間、特に、後から生まれてくる子供たちに対する「覚悟」と「責任」に向き合わなければなりません。

話した通り、上過ぎる生活も下過ぎる生活も、一般的には良いと言えるものではありません。(下の生活については省きました。)

それを親の都合で環境を通して「子供に押し付ける」のです。

子供がその位置に適した性質を持っているか?は、育ってみるまで分かりません。

なので、一番無難なのは中級層で築く家庭生活です。

そこに特別な使命や天命、あるいは大義や、絶対に守りたい小義があったのなら、良いことだったり、仕方のないことだったりするでしょう。

仮に下級の家庭なら、知恵を振り絞って(現代にはインターネットもあるし)、生活の基盤を整え続けなければいけません。

中級の家庭なら、その自由と開放をドブに捨てず、知恵や経験、良い出会いなどに変えていかなければいけません。(創造性を発揮するのも良いでしょう。)

上級の生活なら、お金ばかりに頼らず、しっかり中身のある教育をしなければいけませんし、窮屈でも、その地位をうまく利用して生きていかなければなりません。

そういう「ポジションの違い」ごとに、覚悟と責任を持って、何事も取り組まなければいけませんね。

まとめ

中級層が一番有利なのは確かですが、世の中は高いも低いもあって成り立つもの。

なので、違うポジションのそれぞれが、お互いに感謝して、そ互いを尊重しなければいけません。

決して、「上の人間が偉いに決まってるだろ」とか、「いいや、下の人間のおかげで上の人間の生活が成り立ってるんだ」とか、「誰が仕事を与えてやってと思ってるんだ?」とか、「じゃあ、みんなでボイコットしてやろうか?」なんて話は成り立たないのです。

たまたま上の希少価値が高く、下の方が沢山いるだけ。

それだけ上の人間はあまり必要じゃないし、下の人間は沢山いて欲しいのです。

社会にとってどっちの方が価値が高いのか?需要と供給のバランスで考えたら、同じだと思います。

まあ、人間、自分に余裕がないと他人を幸せにすることは難しいですから、まずは自分のことをしっかりやって、それから人のことをやりましょう。

きっと、どの地位で暮らしていようとも、心に余裕が出てくれば、上にも下にも左右にも、感謝できるはずですから。

明日も心身を磨いていきましょうね。

ありがとうございました。