【人位学】鳥居に隠された真理から人のあり方を学ぶ帝王学

金原です。

亡くなったお爺さんが生前、こう言っていたことがあります。

「上下左右を見なさい」

意味までは語ってくれませんでしたが、きっと「この世には色んな人が居て、色んな地域があることを知れ」と言う意味なんだろうなと、なんとなく思っていました。

そして最近、それを明確な理解に変えてくれた、「とあるもの」があります。

それが、神社の入り口などに立っている「鳥居」です。

鳥居のデザインがどうしてああなったのか?不明ですが、僕からすると、あそこには明らかに「この世の真理」が隠されている様に見えるんですね。

なので今回は、その真理と、そこから学べることを「人位学」と名付け、お話ししていこうと思います。

人それぞれの上下左右(ポジション)が分かり、それぞれが成すべきことが分かる。

これは、単に個人として生きることだけでなく、国を治めたり、会社の経営をするとき、家庭での親子関係や男女関係など、人間社会のあらゆる面で役立つはずです。

では、参りましょうか。

この世には「上下左右」がある

鳥居は縦2本の棒と横2本の棒からできていますが、あれはこの世の上下左右を表していると考えていいでしょう。

上下というのは、人の「地位」を表していて、天(空)に近い方が天皇や政治家、社長や上司などの上に立つ人、地(地面)に近い方が子供や大衆層などの一般的な人を表しています。

対して左右というのは、人の特性を大きく「男性性」と「女性性」の2種類に分けたもので、その両面が揃わないと社会は成り立ちません。

これだけだと「だから何なんだ?」って感じですけど、深く掘り下げると非常にためになるので、詳しい解説を進めましょう。

上下に並ぶ横棒(天地人)の意味

上下に並ぶ横棒についてですが、図の方では更に「天・仁・俗・地」という漢字が振ってありますよね。

これは、東洋思想の中で言われている「天地人」というもののことで、要するに「世の中には上と下(天地)という概念があり、その間に人がいる」ということです。

つまり、上の棒が天、下の地面が地、間の棒が人ですね。

「天」は空のことだったり、そこに浮かぶ太陽のことだったりする訳ですが、「成長するときに目指すべき方向」とか、日差しの様に「上から降り注ぐエネルギー」みたいな捉え方をすると、この後で解釈しやすくなります。

「地」は鳥居ではなく地面ですが、現実世界に当てはめれば「人が成長する時のスタート地点」とか、「成長のための基盤」とか、大切な意味がありますね。

「人」は天と地の間にある横棒ですが、これは人の成長度合いの意味で、上下に動くものだと思ってください。

つまり、身長と同じ様に、成長した人ほど天に近い「仁」で、人として出来ている、天に届いていない人ほど「俗」で、取るに足らないという解釈ができる訳です。

ただ、例えば高層ビルが天に向かって高く伸びるのはどうでしょうか?

この高さは「形式的」なものであって、それをあえて望むのは「俗」な解釈によるものだと言えるでしょう。

つまり、見た目や地位がどうか?ではなく、時には「人としてどうか?」で捉えることも必要すね。

左右に立つ縦棒(男性性と女性性)の意味

続いて左右の横棒ですね。

これは人間性を陰陽に分けたもので、簡単に言えば「男性っぽい要素と女性っぽい要素の両方が必要だよ」ということ。

要素の例は図に書いてあるのでここでは簡単に済ませますが、例えば「理想と現実」というものは、双方をアップデートさせながらギャップを埋めていく(双方を近づける)のが良いんですよね。

なぜ理想も更新しなければならないかと言うと、理想などというものも結局は人間の頭で思い(想)、考えた(理)だけの産物だからです。

人はどうしても過ちを犯すもので、それは理想像を描く時も同じこと。

つまり、現実を進歩させることはもちろんのこと、同時に理想もちゃんと進歩していかないと、その人は本物では無い訳です。

これが出来ない人は、目標を達成した時点でやることや生きる目的を失い、ダメになります。

そんな感じで、一人の男であっても、その中に持つ女性性を同時に伸ばすべきだし、逆に女であっても、その中に男性性を同時に伸ばすべきなのです。

男性といえば、どちらかと言うと「知恵」。

女性といえば、どちらかと言うと「愛情」。

人の成長や人生には、この両方が必要ですから、覚えておいてください。

絶対的に離れた上下と限りなく近づく左右

縦棒と横棒とで違うのは、男性性と女性性を表す「縦棒だけが斜め」になっているというところですね。

実際には縦棒も並行に立っている鳥居もあるのですが、足元から上を見上げると、同じ様に斜めに見えますし、鳥居に近づく程に角度がキツくなります。

で、これが一体何を言わんとしているかですが、それは「天地の距離は絶対であり、左右の距離は限りなく近づく」ということです。

世の中には、下の仕事をする人も、上の仕事をする人も、一定数必要です。

もちろん、その仕事内容が進歩によって楽になることはありますが、例えば「人類全員が天皇」みたいなのは、絶対ありえない訳です。

逆も然りで、「人類全員が農家」なんかすると、計画的な栽培ができなくなったり、備蓄管理が上手くできなくなったり、そもそも服と家を作る人がいなくなったりして、結局は衰退してしまいます。

だから、天地の距離は絶対、つまり、上の人も下の人も必要だということ。

続いて左右ですが、これはさっき言った様に、男性性と女性性を共にアップデートをして行った時、「双方の理解が深まり、距離が近づいていく」からです。

男が同時に女であることはできず、逆も然り。

それは、真っ直ぐ伸びた道が地平線に近づく程に狭まるのと同じで、実際には「交われない」のです。

だから、図に「離」と書いてある様に、左右の要素は離れっぱなし。

ですが、離には「くっつく様に並ぶ」という意味もあるので、男女で言えば、上手く添い遂げる、そのために互いが成長し、理解しあって距離を縮めるとい捉え方もできるのです。

鳥居が表す真理から学ぶべきこと

では、ここからは、これらの真理から一体何が学べるのか?

全部で7項目、解説していきましょう。

天は地を育て、地は天を目指すべし

さっき、「天は太陽や空などの地から目指すべき方向であり、日差しの様なエネルギーが地へ降り注いでいる」と話しました。

ここからはまず、「上の人間ほど最下層の人を『底上げ』する様に努めなければならない」ということが言えます。

太陽が光を届けないと、草木は育ちません。

つまり、俗な人の様に自分のことばっかり考えて生きる人を減らし、世のため人のため、会社や家庭のために貢献できる仁人を増やすには、「上層の人間が下層の人間を育ててやる」必要があるのです。

会社の上司や家庭での親などは、部下や子供に命令するだけではダメで、どうすると良いのか?どうしてそれが良いのか?その「知恵」を「愛情」も込めて教えていかないといけません。

「どうしてうちの会社、うちの子供はダメなんだろう」と悩む人がいるかもしれませんが、当たり前のことをやっていないだけかもしれませんね。

対して地側の人間はどうか?ですが、これは「みんなが天(仁人)を目指して成長しなければならない」ということが言えますね。

植物は上に向かって伸びます。

人間も元々はみんな赤ん坊からのスタートし、地からの積み上げで成長するんですよね。

ですから、自分が天・人・地、または仁・俗のどの位置にあっても、総じて天(より優れた人間)を目指しながら成長する様に努めなければならないのです。

人間は植物と違って意思や知恵がありますから、仮に育ててくれる人がいない様な俗人であっても、どこかで「このままじゃいかん」と悟り、自ら仁者を目指して成長しないといけません。

要は、天に近い人ほど下の者を育てないといけないし、全員が地から天に向かって成長する様に努めましょう、ということです。

全員が天皇ではダメですが、「全員がより仁である」ことは良いことですから、「中身の部分」では、どこまでも上を目指すべきなんですよね。

物事の順序は「天→地→人」が基本

今回「天地人」という言葉が出てきましたが、この天→地→人という順番にもちゃんと意味があります。

なぜなら、天(宇宙)があって初めて地(地球)は存在するし、天(太陽)から地にエネルギーが降り注いで、初めて人が生きていけるからです。

天が地を育て、地から人が天を目指して成長する。

これは先ほど説明した上司と部下や、親子の努めと同じ話ですね。

人間は哺乳類ですから、まずは上の人間が育ててやらないと、発育がうまくいきません。

特に幼少時代の愛情不足や知恵不足は、少年犯罪や知恵遅れを発生させることもあるので、「人間の地盤」を固める様に、重点的にお世話をしてあげないといけない訳です。

これが政治なら、保育とか小学校とかよりも、まず家庭教育に力を入れないといけない事が分かります。

0歳〜の、知恵と愛情をたっぷりと与え、それから国語だの算数だのとやれば良いのです。

ベーシックインカムよりは、子供が小学校に入るまでの給付金を配る事と、家庭教育における心得を国民に教える事、この2つを政策としてやるべきでしょう。

天地人それぞれが互いに感謝すべし

天地には絶対的な距離があると話しましたが、それはその分「天人が地人に感謝し、地人が天人に感謝するべきである」という事です。

その間にいる中間管理職や営業の様な存在(人)も忘れてはいけません。

上の人間がいるから統率が取れるし、下の人間は導いてもらえます。

下の人間がいるから産業が成り立つし、上の人間も食べていけます。

この「相互依存」という当たり前に感謝することを忘れると、人はすぐ自分勝手になって、人を見下したり、イライラしたり、良いことがありません。

会社の社長や役員、国の政治家や官僚やは搾取するでしょうし、社員や国民は上層部を恨み、「こんな会社潰れてしまえ」とか、「革命を起こすべきだ」などと言い始め、社会がどんどん支離滅裂に、やる気のない状態、破滅に陥るのです。

ですから、親・子が、社長・社員(非正規職員含め)が、政治家・国民が、互いに感謝して、それぞれすべきことに努めることが必須というか、「当たり前」ですね。

そのためにも、まずは天人(上層の人間)があまり搾取せず、地人(下層の人間)を育ててやること。

全てはそこから始まります。

俗には具体的指導を、仁には真理を

鳥居のデザインを思い出して欲しいのですが、足元から見上げると、柱は必ず中央へ向かって狭くなりながら伸びていますよね。

これは、「天=抽象的」であり、「地=具体的」であるということです。

抽象的な方が物事の捉え方は少なくて済み、具体的だと「アレとコレとソレの場合」という風に、別々に考えないといけなくなります。

だから、天の方が幅が狭く、地の方が幅が広いのです。

地位の高い人や資産家の方が少人数であるという、社会構造を表している様にも見えますね。

また、太陽(天)の方が太陽系の中央にあって、より揺るがない「根幹」の存在だと言えますし、その周りを回る地球は、どちらかと言えば「枝葉末節」に広がっている存在だと言えます。

それと同じ様に、俗人よりも仁人の方が、男性性と女性性の両方を持ち合わせている、抽象的存在なのです。

子供や俗人は、自分で考えて本質的な選択をするのが苦手な傾向にあります。

ですから、地人・俗人に対して何か教える時には、より「具体的な指導」をしてあげると良いのです。

対して天人・仁人は逆で、より「抽象的な学問」をして、この世の真理に基づいた行動が取れる様にすると良いでしょう。

例えば、帝王学なんかを教えてくれる人がいれば、そこにいくべきでしょうし、いなければ、人間・人生・世界についてそれぞれ勉強し、自分で抽象化していけば、物事の真理を掴むことが出来ます。

自分で1から勉強する人が、具体的なことから学び始めれば良いと捉えることもできますね。

左右が歩み寄りながら成長すること

これもさっき話した様なことですが、左右、つまり男性と女性の様な相対する関係にある者は、「互いに歩み寄りながら成長する」ということが分かります。

地に近い俗人の方が他人を理解できず、心の距離はお互いに離れていて、天に近い仁人の方が他人を理解し、心の距離は縮まるのです。

また、人が成長すると、男性が女性的な側面も身につけ、女性が男性的な側面を身につけるという、「人間性の補完」が起こります。

これは、そうした方が良いという話でもありますし、本当に学問修養すれば、勝手にそうなるということでもあるでしょう。

人間、秀でた部分もあった方がいいですが、全体的には中庸(ちゅうよう)と言って、ある程度バランスをとった方がいいのです。

ですから、それぞれの個性を持って生まれ育つのであっても、自分の良い所を伸ばすだけでなく、足りない所は補う。

その過程で他人のことを知り、その違いに感謝できる様になれれば、より良く、左右で互いに支え合えたとしたら、もっと良いでしょう。

上下左右が互いに理解し合う努力を

天地の距離は絶対ということもあり、大衆に政治家の気持ちはなかなか分からないですし、政治家に大衆の気持ちはなかなか分からないものです。

政治家にふさわしい人間を育てる教育や、実際の仕事を行った結果、大衆とは全く異なった生活をすることになりますし、大衆は政治家がどんな生活や苦労をしているのか知ろうともしません。

それでも、お互いがお互いのことを伝えることはできますし、知ろうと努力したり、思慮を心がけることも可能なはずです。

そういう人間性がないと、つまり本当に仁人でないと、金持ちだろうが成功者だろうが、中身は俗人なんだと言えます。

特に天人、政治家や社長の様な人たちは、社員に対してどうしてあげれば良いのか分からないとマズいので、これについてもまずは天人・仁人が働きかけないといけませんね。

これは左右についても同じで、お互いを知ろうとすれば、お互いがどうしてあげるべきか分かります。

上下左右について言えることなので、単純に「幅広く他人を知りましょう」ということですね。

そこから分かる自分の特性もありますし、日々勉強なのです。

上下左右で言葉の解釈を一致させよ

特に天地の間で相互理解をしようとした時、その壁となるのが「俗解(ぞっかい)」です。

これは「大衆にとって分かりやすい解釈」という意味の言葉なのですが、実際には、大切な言葉や概念の本来の意味が間違って伝わってしまったりします。

「〇〇の日に高いものを買うと良い」とか、「〇〇の年に生まれた女は良くない」とか、そういうのはだいたい迷信なんです。

仮に合っていたとしても、その意味が分からず、盲目的に行動して仕舞えば、意味がなくなってしまいます。

特に日本で使われている言葉には、その漢字の意味を研究するだけで非常にためになるものが多く、みな哲学があるのです。

その上で俗人たちがそのまま言葉を間違って使っていたら、学ぶこと悟ること少なしで、仁人が増えにくくなってしまいます。

せっかく学校や書店というものがあるわけですから、是非とも言葉の意味を正す様な教育文化が広まってもらいたいものです。

言葉を正しく使う。

これだけで日本は大きく変わります。

最後に

今回の話は、神道を研究されている方からしたら、非常に納得のいく内容だと思います。

そもそも、神道は宗教ではなく、柔道や躰道、剣道と同じように、「人の生きる道」なのです。

神社の作りなどにもちゃんと意味があるようで、それは鳥居に関しても同じだと思いますね。

それが今回の学びで合っているか?は分かりませんが、物事は「解釈していく」ということが重要・大切なんです。

例えば「修道」という言葉であっても、「道を修める」だけじゃなくて、「修養を積んで道を開く」という風な解釈をすると、より役に立ちます。

「開運」だって同じで、「運が開ける」じゃ何かが開けるまで何もしない人になるので、「心や生活を開いたから運が巡ってくる」という風に解釈すれば、よりためになるんですね。

ですから、今回の学びは鳥居だけに限らず、「様々なものを解釈することで、学びに変えていく」という「姿勢」を身につけるものであって欲しいなと思います。

より高い仁人を目指す時、そこには世の真理が関わってくるでしょう。

その真理を自分で悟る人が増えれば、人類の教育文化は進歩し、仁人が増え、社会は本当の豊さに近づくはずです。

それでは、明日も心技体、磨いて参りましょう。

ありがとうございました。