窓サッシを拭きながら。私生活の科学と教育とは何かについて

中国とアメリカの戦争が意味するのは、「宗教と科学の争い」です。

その間に立って世界の模範となるのが、日本の「神道」であり、「科学的な作法を教え広める」ことが、これからの世界のテーマとなります。


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金原です。

今日も掃除をして、家を浄化していきます。

この流れが世界まで届くように。


で、今日は、以前弟が使っていた隣の部屋にある窓サッシです。


この家の場合、この部屋が家族や親戚などの、「別々に暮らしているけど縁が深い人たち」との関係性を左右します。

なぜなら、やって来た人がこの部屋で寝泊まりするから。


今年は「決めた事を断行する年」と誓いましたからね。

マジで変えて行きますよ。

訳の分からない家の家族は実際そうなる

窓の前に、現状の写真です。

なぜか母のでっかいタンスが置いてあるし、そのせいでクーラーの位置が移動されててカーテンの上に電源コードが這わせてあるし、物を置き放題だし、ベッドは頭の方に壁がないし、机はもう要らないのにずっと置いてあるし、、、、。

もう、いっっっみ分かんね!!!!


って、もう何年も前から思ってて、親にも言ってきたんですけど、もう絶対にやろうとしないんですよ。

何って、「片付け」です。


物事に片を付けず、その結果を人に押し付ける。

すると、人間関係がおかしくなっていく。

障害ではなく人間性なのなら、自分のお尻は自分で拭かないといけない。


この家が建ってすぐに家を出て、今では結婚して子供も産まれた兄が、言っていました。

「あの家には居場所がある気がしない」と。


そりゃそーだろ。

コロナとか不景気とか言ったって、家族みんなで円満に暮らせば、人生くらい楽勝なんですよ。

なのに、器が、「お迎えする準備」が全く無い。


僕が新しい時代のファッション・オリジンなら、「僕が起源」でなければいけません。

僕が始まりを告げるのです。

・・・いいから窓拭こう。

はい、すみません。

大雑把に拭いただけでこの有様。

とは言っても、トイレ掃除を習慣化した時に比べたらハードルは低いです。

雑巾が届かない様な溝は爪楊枝で。

固まっているのでザクザクします。

出ておいでー。

こういう所に邪気と呼ばれる「悪い波長を発生させる汚れ」がたっぷりある訳です。


散らばったカスは掃除機で吸い取ります。

こういうことやってると、なんだかプラモデルをやっていた時を思い出しますね。


こういうところも大事!

よく見ると奥の方が結構汚れてるんですよね。

それが放っておくうちに積もり積もって、「疲れが取れない居心地の悪い部屋」にしてしまうという。


完璧では無いけど、それでもやっぱりスッキリした!!

実は、掃除した後の、この「スッキリ!」という感覚がめちゃめちゃ大事です。

今日の座学はここから展開しましょうか。

日々の実践の中で科学する

今日は、朝に筋トレをして、昼から床掃除をしてました。


窓を開けて換気をしながら、乾拭きでホコリを集めて、箒がけでチリを取り、最後に濡れ拭きをする(最後にもう一度だけ乾拭きをすると完璧)。

これを週一回でもいいから、丁寧にやってみる。

余裕があれば、ドアやドアノブ、照明のスイッチなど、汚れやすいところを拭いていく。

すると、雑巾掛けをするくらいから、体の中の静電気みたいなのが抜けて行く感覚になります。


初めは、単にスッキリして、「まあ、気分の問題だよね」という認識で終わるでしょう。

しかし、その体験を毎週繰り返してやってみると、とある「確信」に変わります。


「あぁ、やっぱり、邪気みたいなものは存在してて、汚れの中から発生してるんだな。」


・実験を繰り返す
・体感でデータを取る
・考察をする


学校でやった様なことを、「数値以外の何か」で行うだけ。

人には信仰というものがありますけど、やっぱりデータとった方が確信できていいと思います。

つまり、宗教も科学も、マジで大切だな〜と思う訳です。

信じる宗教。それを確信に変える科学。

素直な人ほど成長するのが早い。

これはそうなんですが、良い形で成長するとは限りません。

信仰心を持った結果、悪い情報や価値観に従ってしまうこともある。

答えだけを知っていても、その裏の真理や背景を知らないままだと応用も効かない。


だから、信じるだけじゃなくて、自分で学問する必要があるのです。

個人もそう。

時代もそう。


トップダウンの経営を長く続けてきた企業ほど、社員一人一人が指示を受けてばかりで、それを信仰するしかない。

「俺たちは無宗教なんだぜ!」

こういう時代ほど、その意味を理解しておらず、社長や会長を、会社や部署を信仰しているという。

最後は企業の方針が理解できずに不安な人が大勢出てきて、優秀な従業員ほどやめて行く始末。


だから、僕ら人間は、社会の一員として、一人一人が「教育とは何か?」をしっかり考えないといません。

一に作法。二に思想。三に実践。

新入りやひよっ子には、まず「やり方」を教えないと、何もできないままです。

つまり、「作法」がまず第一として身につけないといけないこと。


次は、作法一つ一つの大切な意味を知らなければいけません。

でないと、「こんなことやっても意味ないでしょ!」と、適当な人達がたくさん出てきて、作法を教えたことが台無しになってしまうのです。

なので、第二に「思想」を教える。


作法と思想が揃ったら、あとは日々「実践」していけば良いでしょう。

あとは、あえて言うなら、一人一人が「プラスαの科学」をすることを教えるのです。


この「科学が発展」につながります。

そして、科学の結果から分かったことを反映した、「新たな作法や思想を教えるのが宗教」です。

最後に:今、宗教と科学が揃う時。

これまで科学が目まぐるしく発展してきた様に見えますが、結局は太鼓の昔から信じられてきたことに、再び辿り着こうとしています。

むしろ、そこから副産物として、兵器、有害な化学物質、悪徳な利権、偏った価値観など、さまざまな副作用やがん細胞的要素が社会に散りばめられました。


なぜなら、宗教をないがしろにして来たから。

宗教は道徳です。

つまりは、愛であり、学問であり、生活であり、健康であり、幸福であり、正義であり、人の道なんです。


これが無ければ、意味の無い戦争を平気でやり、世界が腐って行くのを知っていてもなんとも思わずに、そこへ加担するのも理解できます。

人が人で無くなっていく。
自惚れた子供になっていく。


しかし、物事を突き詰めると、それは結局、宗教やスピリチュアルにたどり着くものです。

世界中で、最先端の人たちが、すでに動いています。

昭和の時からね。

宗教と科学が一致した時、本当の新しい時代がやって来ますよ。

表沙汰になっていないだけですけどね。


それでは、気づいた人から、この世界を共に浄化していきましょう。

またね!