自分の価値なんてどうでもいい。大切なのは「自分の人生の価値」

金原です。

人は「自分の価値」というものを測りがちです。例えば給料やSNSのフォロワー数などで。しかし言いましょう。そんなものはどうでもいいものなのだと。

本来どうでもいいことに振り回させるのはもうこれで終わり。人から評価されなかったりした時にいちいち落ち込む様な事もなくなるんです。

ただ、その為には自分の価値というものが一体どんなものなのかを理解して、さらに本当に大切なものは何なのかを知る必要があります。



自分の価値とはどういうものなのか?

自分の価値がどういうものなのかは、「価値」という言葉の意味を見ればわかります。そこには

・実際に役に立つ程度
・値打ち
・実用性

などと言った意味がある様です。

ここから量り知ることのできる性質がいくつかあるので、ここでは3つにまとめて説明して行きます。


どれだけ優秀でも自分の価値は他人が決めてしまう

「実際に役に立つ程度」と言うと、自分の価値は自分で決める事ができそうですが、それは違います。

「役に立つ程度」は自分が能動的に働きかければ上昇させる事が可能ですが、それを評価するのは結局のところ「他人」です。あなたが「成し遂げたこと」と「評価に値するポイント」は少しずつずれてきてしまうからです。

「自分は自分の役に立った」なんて言葉の使い方はしませんよね?

個別の能力を自分で評価して「この能力は役に立つ」と言う表現をすることはありますが、それは自分の価値と言うより「単なる能力」です。

つまり、あなたが優秀であっても、その能力をそのまま自分の価値に転化することはできないと言うこと。

自分の価値を認識するには、どうしても「他人」や「物差し」を間に挟んで評価してもらう必要があるのです。ですから、自分の価値を自分で決めることはできません。

このことは陸上の100M走に例えれば解り易いです。

仮に多勢の観衆が集まる大会で選手が100Mを5秒で走ったとします。その時に観衆が誰一人として歓声を上げず、感動すらしなかったとしたらどうでしょう?金メダルも賞金も貰えなかったとしたら?その世界一のスピードに価値はないと言うことになりますね。


自分の価値を測る2つの物差し「好意」「給料」

自分の価値を測るツールにはこの2つがあります。

・好意
・給料

先ほどの例に挙げた様な陸上の選手は間違いなく多勢の人から好意を持たれてスターとなるでしょう。そして賞金を手にして、スポンサーからの契約金も入ります。

そう言った好意の数や程度、お金の額などで自分の価値は測る事が可能です。


自分の価値とは不可解なもの

ここで自分の価値がとても不可解なものなのだと言う事が見えてきます。

あなたのことを評価している人がいたとして、あなたはその人のことを評価しているでしょうか?評価していない人から評価されていて、それはあなたの求める評価に値するのでしょうか?

名声を得たいと思っていない限り、多勢の人からモテてもむしろ迷惑ですし、個人から強く好かれてしまっても、その人のことを反対に好きでない限り、その気持ちは迷惑になってしまいます。

それに、人は働いて社会貢献している反面、地球環境を破壊したり、後進国から搾取したりしています(言っても理解してもらえるかどうか)。そう言う人々から価値が高いと思われることは、あなたにとって価値が高いことなのでしょうか?

他人からの評価が「給料」と言う形であなたに支給されます。しかし、人がお金を稼ぐだけ、資源は消費され、ゴミやガスを排出し、地球環境は悪化していく様にできています。

あなたが価値を高めるだけ、そこにはお金が集まり、地球に将来誕生する子供たちの生活環境を脅かすのです。

そこまで考えていくと、果たして人から「価値がある」と求められ、高い給料をもらうことは、自分にとって価値が高いことなのかわからなくなってきます。

これはもちろん人の価値観によるものなのですが、社会のことを考えない人が多勢の人々から評価されたいと思うのは矛盾していますよね。



自分の価値などどうでも良いと言える理由

ここからがようやく本題です。ここまで説明してきた「自分の価値」のことが理解できていれば、これから書いていくことにも納得がいくはず。


不可解なものを信じてもしょうがない

先ほど自分の価値というものが不可解なものであることを説明しましたが、仮にそんな不可解なものを信じるというのであれば、それは盲目的に生きていくのと同じことです。

自分が本当に求めていることなのか良く分からないのに自分の価値を気にかけてしまうのというなら、そこには余計な体力がたくさん持って行かれているでしょうね。

あなたは占いの結果次第で気分が良くなったり悪くなったりしますか?仮にもともとそういう人間だというのなら仕方ありませんが、自分の価値の場合は理解することで気にかけても仕方のないものだということに気づくことができます。

そしてそのための説明はすでに済んでいるはずです。自分の価値なんてものを信じても意味がないんですよ。好意は所詮人の勝手。お金はせいぜい生きていくため、遊びのためにあると思ってください。


自分の価値が低くても人生の価値が高ければ問題ない

人からあまり好かれず、給料も低かったとしても、もっと大切なものが充実していれば、そんなことは取るに足らないことだということがわかります。

その大切なものというのは、「自分の人生の価値」のことです。

あなたが最高の人生を送っているとしたら、もうそれ以上他人からの好意は必要ですか?お金は必要ですか?増えたとしても、単なるステータスでしかなく、それは一つのお遊びと化するでしょう。

初めから自分にとって良いと思える人生を送ろうとしているのなら、他人からの評価など基本的にはどうでもいいものなのです。



‎自分の価値は他人が決めるが、人生の価値は自分で決められる

自分の価値は他人の物差しで決められてしまうものでしたが、それよりももっと大切な「人生の価値」は自分で決めることができます。

この人生が有意義なものであるかどうか?自分にとって満足のいくものであるかどうか?それは自分自身にしか測ることができないはずです。だって、人によって感性も価値観も違うんですから。

なら、それでいいじゃないですか。

自分の価値なんてものはあくまで他人が決めたもの。自分とは異なる感性、異なる価値観によって勝手に決められてしまったものなのです。そのなものを信じていても「自分の人生」に対するリターンは何もありません。

それよりも自分の人生の価値、これを最大化させることに集中してください。

最高の人生を送ること。それは本来全人類に当てはまるはずの共通の目的です。なのでこれ以上の説明はしませんが、最後にこれだけ言っておきます。

他人からの評価や給料は単なるステータスなので割り切りましょう。むしろ少ないくらいの方が地球には優しいですよ。

ありがとうございました。バンカラ道をよろしく。