供養とは、いったい何のために、誰のために行うことなのでしょうか?
それは「死んでいった人のため」だということは分かりきった話です。
ただ、そう考えた時に、お墓や仏壇を買っても供養にならず、むしろ死者が安らかに成仏できない可能性があるパターンというのが存在します。
それは、死んだ人が「良い人」だった時です。
このパターンについてしっかり考えておかないと、お墓や仏壇に大金がかかったのにも関わらず、死者の魂は成仏できず、最悪、残された人達も借金などを抱えて死者生者共に苦しむこととなってしまいます。
この場合、そもそもお墓と仏壇を買うこと自体が供養と真逆の行為となってしまうので、ここに当てはまるようなら、供養の仕方を工夫していかなければなりません。
では、どうして良い人の魂に対しては、お墓や仏壇が供養に繋がらないのか?考えてみましょう。
良い人(死者の魂)は残された人達の幸せを願っている
まず、死んだ人が良い人だったなら、その人が生前何を考えて生きていたか?想像してみて欲しいのです。
「残された家族が幸せであってほしい」
「友達や過去の恋人が幸せであって欲しい」
「お世話になった人達が幸せであって欲しい」
「社会が、地球が、末永く繁栄して欲しい」
きっと、良い人というのは、こういう感覚を持って生きていたんじゃないかと思います。
特に多いと思われるのは、「家族の幸せ」です。
愛するべき人と出会い、家庭を築き、家族にも恵まれ、子孫のために頑張って日々を過ごしてきた人。
あるいは、親の元に生を授かり、愛情を受けて育った人。
彼らが良い人だったなら、まずは家族の幸せを願って生きてきたことでしょう。
もっとすごい人なら、社会の繁栄や、赤の他人の幸せを願っていたかもしれません。
そんな人達が死んだ後、供養してもらうなら、どうやって供養してもらいたいと思うのか?
仮に僕がその魂であったなら、「できるだけお金や負担を掛けないで」供養してもらいたいと思うハズです。
自分のための供養のせいで家族に負担かけたくないでしょ?
お墓というのは、200万円ぐらいするものもザラです。
仏壇には8〜40万円はかかります。
そこへ更に御経を上げるのに、毎年何万円もかかるのです。
別にお金持ちの家系なら好きにやったらいいと思うのですが、これが一般家庭なら大変な額だと思います。
仮にお墓をローンで買う羽目になったら、払う金額は50万円上乗せされると思った方がいいですね。
そのせいで車が買えなくなったり、子供の学費を全額本人が払うことに(それもローンで)なったり、どんどん「借金地獄」に落ちていきます。
更に、仏壇は家のスペースを圧迫し、最近の狭い分譲住宅にとってはかなり邪魔な家具です。
仏壇が無いだけで、人が一人多く住めるかどうかが変わってくる場合もあります。
今の時代に三世代で暮らすことができたなら、その家庭はとりあえず安泰です。
・・・と、こういうことを考えた時に、果たして自分も同じように供養してもらいたいと思うか?
ここが重要なんです。
供養も相手の気持ちを考えて、配慮しないといけません。
「自分がされて嫌なことは人にもしてはいけませんよ」という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、まさにこういう時に当てはまるものですね。
僕なら絶対に家族に迷惑かけたくないですもん。
死んでも「俺が死んだら300万円払えよ。いいな!」なんて言えませんね。
今まで人に迷惑かけてお世話になってきたことは何度もありますが、死んだ後も迷惑かけるのは本当に嫌です。
成仏なんかできません。
そもそも仏教は完全に人が作った文化だから従う必要無し
宗教って、人生をかなりオシャレに着飾ってくれる文化だと思うんですよね。
イベントも増えますし、親戚同士で集まるきっかけにもなります。
でも、それってオシャレであるが故に「見栄を張る行為」でもありますし、親戚同士で集まるのも「参勤交代」みたいなものですよね。
そもそも仏教っていうのは、人が悟りを開いて行く中で発達した文化なので、従う意味は無いものなんです。
キリスト教みたいに「神の声が聞こえた人達の教え」っていうクレイジーなものなら、「信じて従う」というのも面白さがあります。
ただ、仏教は完全に古い人達が工夫して作った文化でしか無いので、それを勝手に信じて「これで死者の魂が救われる」と思い込んでいる人の方がクレイジーだということになってしまいます。
何がクレイジーかっていうと、「死んだ人の気持ちを考えていない」というところ。
仏教の型にハマる前に、人としての道を踏み外してはいけないと思うんです。
「冥福をお祈り致します」と口で言うのは簡単です。
ただ、本当にそう思うのであれば、さっき言ったように、死んだ人の魂がどうしたら現世(残された人達)に未練を残さず、安らかに成仏できるか?考えましょう。
家族が支払いに追われ、苦しんでいたら成仏できないのだから、家族が笑顔で幸せであることが、供養の最低条件なのです。
それでも迷うなら、本人が死ぬ前に確認しておこう
これだけ説明して、お金にも余裕がないというのに、まだ迷う人はどうしたらいいか?
その時は、家族が死ぬ前に「どうやって供養してもらいたいか?」を直接聞いておきましょう。
この時に「お墓も仏壇も高級なやつを買えよな。お供え物もしろよ。お経もあげろよ。その時のお前らの貯金なんか知らん。」なんて言ってきた人がいたら、縁を切った方がいいかもしれませんね。
こういうことなんですよ。
そもそもあなたが、こんな「ひとでなし」に対して供養してあげたいと思うのか?
そういう自分の気持ちも大切にしてみてください。
だって、供養という言葉の意味を考えてみれば分かります。
「共に養う」という言葉に、礼儀の儀に付いてる人偏を足したようなものです。
現世から飛び立とうとしている、魂を物質的なもので無理やり養おうとする。
これが結果的にお墓や仏壇の購入に繋がり、現世に残された者達の生活を苦しめる。
これでは結局「共に養う」ことになりません。
共に養う=家族が幸せ=魂が成仏できる
こういう方程式があるんです。
つまり、良い人だったから供養してあげたいし、自分も良い人だから供養してあげたいと思うわけです。
そういう「相互関係」をお互いの生前に作っておくことが、理想の供養に繋がります。
まとめ
父のお墓参りに行くと、「荒れ果てたお墓」を毎回目にします。
きっと、その家庭は人間環境が悪化していたんでしょうね。
あるいは、考える頭が無かったか。
どちらにしても、お墓や仏壇を買えば、それだけで供養になるのか?といえば、違うわけです。
じゃあ、お墓参りに来て、手入れやお供えをすれば、供養になるのか?といえば、違うわけです。
じゃあ、毎日仏壇にもお供え物をして、拝んでいれば、供養になるのか?といえば、これも違います。
僕が家庭を持った後に死んだとすれば、家族に対してこういう願いを残すでしょう。
「物事を鵜呑みにせず、自分の頭で考えて判断して欲しい」
「人と接する時は、相手の気持ちを考えてみて欲しい」
これは一例にすぎませんが、供養においてはこの2つが非常に重要です。
一体どんな方法が一番供養になるのか?あなたなりに考えてみてください。
ありがとうございました。
バンカラ道をよろしく。