初めまして、金原昌史(かねはらまさし)と申します。
人というものは、成功しようがしなかろうが、なかなか悩みや苦労から抜け出すことができないものでして、ストレスが何もなくなると、同時に生きる目的も失って、ダメになってしまうんですよね。
だから、何かと自分のことや仲間のこと、世の中のことを思って、色々に悩まないといけなくて、これが「人間」という生き物の本性だと思います。
ただ、この事を知らない、特に純真な人ほど、俗に言う「成功者」の後を追って、金だの地位だのというステータスの先に何かがあると信じてやまないわけです。
自他に貢献する愛情のある人、成功を手にいれる智恵のある人。
この愛情と知恵は、人類全体が本当の繁栄を手に入れるために絶対必要です。
ただ、これまで出会った人たちの話を聞いていると、やれ「愛情が人を育てる」だとか、「何事も理科的に考えないといけない」だとか、何か一つの要素に偏った人がほとんどだということに気付いてしまうんですよね。
もちろん、僕にも偏った部分がありました。
中学校から大学卒業後までのことです。
世の中は努力一つでどうにかなる程甘くはないのに、当時の僕は、ただ我武者羅にスポーツや学校の勉強、新宿での水商売など、忙しく動き回ってばかりいましたね。
膝の靭帯断裂、足の甲の骨を6本疲労骨折、抑うつ感に耐えながらの学校生活、大学に通いながら深夜までのメンズキャバクラ。
最後は統合失調症にかかり、2回に渡る半年間の入院と、その後の何もやる気がしない1年間のブランク。
努力だけでは身体も精神もボロボロになるし、楽にやっていても何も成し遂げられません。
僕も馬鹿なものでして、ここまで来てようやく悟ったわけです。
ただ、だからバランスを取ればそれで良いというわけでもなく、やるべき事をやらないと成るようには成りません。
世の中には理法、原理原則というものがあって、それに則った生き方をしなければ、高度な目的は叶えられないんですよね。
ただ、それも「学問・修養」をすることによって理解できるし、最後は考えなくても自然に体現できるようになります。
例えば、僕は高校時代にラグビーで膝をやりましたが、そこから怪我人生活をしていたおかげで、読書をする精神的な余裕が持てたのです。
その時に読んだ本に載っていた、、体の構造や仕組み、スタミナの養成方法、ストレッチやトレーニングの技法、栄養の取り方。
今知っていることの方がよほど役には立つものの、当時はあれで相当にアスリートとして成長できましたね。
その証に、東海大相模高校でまともにプレーできたのは1年ちょっとの間でしたが、ファーストチームのメンバーに選ばれ、最後の大会で戦うことができたわけです。
この様に、人は勉強と実践を繰り返す中で、学び、悟り、成長していくことができます。
その成長線は、愛情(徳)と知恵(才)の2方向へ伸びており、この両方を高めることで、一人一人の人生も、世界も、大きく変わるはずなのです。

まずは愛情の表れである温もりを知り、特に集中して活きた学問をし、知恵を身につけること。
これが図中の下段、「基礎」までの道であり、年齢など関係ありません。
次に、仕事や家庭での生活があり、生活あっての健康、健康あっての精神性、これらを自分で管理すること。
これが図中の中段、「自律」まで道で、やはり年齢など関係ありませんね。
最後は、自分に余裕ができたからこそ取り組める貢献活動を通して義人となり、その先に自分の道を見つけて尊い人生を送る。
これが図中の上段、「立命」です。
これは、簡単に言えば、「志を育て、それに近付く一つの道」だと言えるでしょう。
志とは「徳の高い願望」のことで、要するに良い事を実現しようと心に誓うのです。
「こういう人間でありたい」
「こういう人生にしたい」
「もっとこういう世界に住んでいたい」
愛情と知恵のある人はこの様な願望を持ち、人々や世の中に貢献する事で、自己実現を果たすのです。
これが本当の人間のあり方。
ですから、人々の中に志を育て、その達成されるべき美しい願望が、どうすれば叶うのか?を教え導く事。
これが僕の道であり、人生です。
人間が本来の人間らしさを発揮し、一人一人が悔いのない人生を送れば、世界は大きく変わります。
そのためのお手伝いが、少しでも多くできる様に、これからも学び、発信を続けて参ります。
金原昌史