金原昌史のプロフィール。一人一人の成長から世界の運命を変える

初めまして、金原昌史(かねはらまさし)です。

僕は、13歳〜24歳までの9年間に自ら苦行を行い、精神への過負荷から精神病になり、回復した今はパート労働をしながら情報発信を続けています。(執筆時28歳)

こんな人生ですが、僕にも志があり、そのために今の生活に落ち着きました。


志というのは、人類一人一人が修行の意識を持ち、一人一人の成長から、個人だけではなく、世界の運命までもが良い方へ変わる様にするというものです。

簡単に言えば、「愛と教養がある世の中」にするということ。


そのためには、一人一人が日々学び、修養を積むという「修行の文化」を当たり前にする必要があると考えたのが、大学生の時でした。

インターネットでの学習も普及して来ましたし、修行のための学びと実践を行う環境は整っていると言えます。

後は、ブログの「バンカラ道」や、YouTubeチャンネルの「命改塾」などで情報発信を続け、修行の文化を広め、成長を意識しながら生活することが当たり前の社会にしていければ、世界は大きく進歩するでしょう。


僕は、「人の道」を示し、広めたい。

自分の心に嘘なく徳が積める(世のため人ために貢献できる)様になり、そのために成長・修行し、それらを楽しみにできる人間を増やしたいのです。


まあ、これはまだ前書きです。

これより下に、簡単な生い立ち、活動の理念、これから先の考えなんかを書いていきましょう。



9年間の苦行と精神病

小学生の頃から、ソフトボール、水泳、ラグビーと、親に言われるがままやって来た僕は、初めは嫌々だったものの、中学2年生の頃からは洗脳されたかの様に、むしろ自ら厳しい生活を行う様になりました。

朝5時に起床、筋トレ&ランニング、柔道部の朝練、放課後の部活、帰宅後は学習塾か筋トレ。

タイムスケジュールを作成してここに載せるのは面倒なのでしませんが、ブラック企業のサラリーマンか、自衛隊のレンジャー並みの生活をしていた自負はあります。

当時は知識も知恵も無かったので、それが「不正解」と分かるまで、とりあえず努力してみた訳です。

高校のラグビー部の時には、両足の中足骨(甲の骨)を折った状態で、半年間、合計6本折れるまでその生活をやめなかったキチガイでした。


そこまで自分を追い込んでまで強くなろうとしたのは、周りの人間(特に若者)がだらしなく見えて、軽蔑していたから。

ああはなりたく無かったし、「この先の日本はどうなるんだ?」と本気で心配するという、真面目で真っ直ぐな性格なのです。


洗脳は大学卒業まで続き、在学中は「コミュ障と人見知りを克服する」という目的で、大学へ通いながらの水商売も、これまたキツかったですが、1年間やりました。

そこで見たり聞いたりしたことが、世の中に対する危機感を更に強め、とにかく情報発信するしかないという結論にたどり着いたのが、このブログ開設のきっかけです。


やり過ぎるまで努力するという癖は、パソコンに長時間へばりつく生活に疑問を持たせませんでした。

おそらくその結果として、確か23歳の頃、僕は「統合失調症」という精神病を患います。

2回に渡る5ヶ月間の入院と、退院後の無気力期間で、合わせて2年間ほど棒に振ったのですが、なんとか働けるところまで回復し、だんだんと情報発信を再開して来た訳です。


色々ありましたが、自分の志だけは、順調に発達して来た様でした。

身に染みる失敗を重ね、そこからの気付きや学びを重ねると、「悟り」という現象が”当たり前”になって来ます。(失敗だけでなく成功からも学ぶのが理想的)

そこから得たヒントから、今のところ、僕の思考は以下の様にまとまりました。



人の道を世に広めたい

「世の中」と「人々」。

この二つは”ほぼ同じもの”と見ることもでき、動きは連動しています。

なら、一人一人が「立派な人間」に成長すれば、世界も平和に発展していくはずです。


ただ、そのためには成長するための「修行」が必要なので、文化として広め、定着させようと考えています。

どう修養を重ねればいいのか?というある程度の基準を設け、日々意識すると良いことなどを体系化することも必要でしょう。


今、すでに人間の成長過程は「徳命学」という占いとして体系化できています。(「金原流 – 占い」のカテゴリーから徳命学の記事が読めます。)

後は導師としての指導や、啓蒙活動による拡散ができれば、仲間や弟子が増え、修行文化も広がっていくはず。


修行と言うと、仏教や少林寺を思い浮かべるかもしれませんが、これは決して宗教的行為ではありません。

成長するために日々実践を繰り返す、その「習慣」のことを修行と呼ぶのです。

それが自分ためだけでなく、世のため人のためでもあったのなら、正しくは「人道的行為」と呼ぶべきでしょう。


そう、僕の掲げる修行文化は、「人の道」なのです。

その人道というものを、まずは自分が体現し、人に伝えていく。

これが僕の人生であり、今の生きがいなのであります。


まあ、人に教えるのはこれからの話ですが、それは、この先もやることが山積みであるということです。

最後に、これからの活動について、どう考えているか?を書こうと思います。


命改塾の活動を展開中

人類一人一人が人道を歩み、成長することで、個人それぞれと世界の運命が良い方へ変わっていく。

そのための学びと実践の場を、「命改塾」と名付けました。

現時点ではYouTubeに何本か動画が上がっているだけなのですが、いずれは直接指導やセミナー、ワークショップ、学習塾と、広げていけるところまで広げてやろうという気持ちです。


ただ、場所などに高い固定費用がかかるのは時代に合っていないので、誰か優秀な人に代わってやってもらわない限りは、「概念」とか、「文化」という形で浸透させていきたいと考えています。

「教会に足を運ばなくても、聖書を読んでお祈りをしていればちゃんと意味があるよね」みたいなのと同じ考え方ですね。

ただ、違うのは、日々精進するという習慣を「日本人の精神」として呼び起こし、定着し直すというところでしょう。


神に頼んで恵んでもらう、というものではなく、こちらから人生に働きかけ、運命改善の影響を世界にまで広げていくのです。

バタフライ・エフェクトの蝶が、風に飛ばされて浮いているのか?自分の力で飛んでいるのか?の違いと似ています。

生まれ、生かされているのは確かに他力によるものですが、結果がはっきりと分からない未来を左右するのは、紛れも無い自分でもあるのです。


その個人が、思い思いに「もっとこんな世の中になったらいいな」と語り、高次元の願望を叶えていったとしたら?

日々精進し、成長し、自分の運命を変えることで世界の運命に影響を与えたなら?

人類がこんなに大きく進歩し、改善を図る時代はないでしょう。


こういうことを教えていたい。

哲学や精神性を言葉に乗せて。

食品スーパーの納豆コーナーで、外国産の防腐剤付き遺伝子組み換え大豆で作った納豆を選ぶのか?国産大豆の納豆を選ぶのか?

そんな小さなことからでもいいんです。

一人一人の魂の中に、バンカラ道や命改塾の「旗」が宿る様に。

そう思いを込めて、活動していきます。



最後に

あなたは、自分が世界に影響を与えることができると思いますか?

自分の人生を変えること、一日を変えること、1時間の過ごし方を変えること、一つの選択を変えること。

全てはそれらの積み重ねで流れています。

どこかの偉人も社長も同じ。

みな同じ様に自分の運命の舵取りをしているのです。


日々の成長から運命改善を実感し、まずはあなたの日々が、これまでよりずっと良いものになればと思います。

それでも、他人や社会との関係を切ることは難しいですから、あなたの生活からも、世界は少しづつ変わっていくのです。

そのためのヒントや導きとなれる様、人々が見て育つ背中となれる様、精進して参りますので、よろしくお願いいたします。



僕が使っている媒体は、このブログ以外に3つあるので、繋がれるところで繋がれたら嬉しいです。

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他、ブログのメッセージフォームからもご連絡ください。

感想、質問、相談、要望、それらが僕の成長と励みにつながります。


それでは、執筆時で2020年1月1日な訳ですが、ここから起こる人々と世界の変化を、より良いものにしていきましょうね。

明日も心身を磨いて参ります。

ありがとうございました。