幸せは精神基盤の一つ。より高次元の願望を追うのが本当の人生だ

金原です。

「人生の目的は何か?」という問いに対して、「それは幸せに生きることだ」と答える人は多いと思います。

確かに、幸せという感覚は大切なものですし、人生を評価する時の一つの指標になるかもしれません。


ただ、僕はこう思うのです。

幸せなんてものは、生活と健康がある程度の水準に達すれば、簡単に手に入るものだと。


成功している人たちに聞いてみるといいでしょう。

事業などで結果を出していて、生活は何不自由なく、至って健康、幸せっちゃあ幸せ。

…それでも、何か物足りない。

楽しいのは初めだけで、そのうち心にポッカリと穴が開いたような感覚に陥ると。


今回はとりあえず、幸せをどこまでも追求したところであまり意味がないということと、この一度限りの人生では、幸せの次に一体何を追い求めればいいのか?ということの、2点についてお話ししようと思います。

人生幸せになって終わり・・・ではないので、その飽くなき探究の道を覗いてみてください。



幸せを追求しても無駄

幸せが大切なものであることは認めます。

ただ、それで終わりではないということです。


多くの人は、なぜかこの幸せという名の”壁”にぶち当たって、それを乗り越え用としているのか?(…は分かりませんが、)物を積み上げるように幸せを追求し始めます。

「こんなもんじゃないはずだ。もっとだ、もっと幸せが必要だ。」

そんな薬物中毒になった廃人のように、幸せを貪り続けるのです。


実際、幸せの元となってるのは脳内で分泌される「脳内麻薬」と総称されるホルモンで、人は元々、薬物依存症であるとも言えます。

「だから幸せが答えなんだ!」というのが彼らの言い分なんでしょうけど、人にはもっと色んな要素があると思いませんか?

思考とか、感情とか、感覚とか。

幸せっていうのは、このうちの「感覚」の中の一つでしかないのです。


その幸せの度合いを高めることは否定しませんが、そればかり追い求めていても時間の無駄だ、という話をここでしましょう。


精神と肉体の安定だけで十分幸せ

初めの方で言った通り、そもそも幸せのハードルはそんなに高くありません。

生活と健康が安定していれば、後は毎日が幸せに感じるはずです。

状況によっては工夫や、そのための知恵が必要になるでしょうけど、そんなものは人それぞれ違う環境や個性を持って生まれてきますから、当たり前の話ですよね。


そんなことより、朝の澄んだ空気を吸って、日の出を迎え、朝日を浴びてみてください。

ついでにゴミ出しでもして、家に戻ったら手を洗って、口をゆすいでからの、コップ一杯のミネラルウォーター。

もう、十分じゃありませんか。


何をどう幸せと感じるか?

健康水準が高まると、この感覚が鋭くなり、簡単に幸せな日々を送ることができます。

正確に言えば、「それを感じることができるようになる」という感じですね。


元々そこら中にあるのに、感覚が鈍いから分からないだけ。

この話がわからない人は、そこまで健康じゃないか、持病やある種の障害を持っているはずです。


追求しても幸福度は確認できない

こういうこと書いていると、「否定するつもりはない」と言っていても、「幸せを追求して何が悪いんだ!」と非難されそうです。

ただ、本当に追求してみて、それの度合いを確認することってできるんですかね?


「昨日より今日の方が幸せだったわ!」ぐらいなら、なんとなく分かるでしょうけど、「美味しい料理Aを食べた時より、美味しい料理Bを食べた時の方が幸せだった!」なんてのは、ちょっと変に感じます。

だって、料理にはいろんな味がありますから、それぞれ違いがあって、その違いを含めた全体を楽しむものだと思うのです。

一つの食べ物にでさえ、味の変化がありますよね?


そういう不自然さがあるだけでなく、そもそも幸せ度って、自分じゃ数値化することができません。

筋トレをした時や100mを走った時のように、トレーニング結果やタイムみたいなものを記録することができないのです。


それに対してどうするかは、ホント個人の自由なのですが、それを追い求めたところでどうにかなるものなんでしょうかねぇ?

幸せ度を数値化できたところで、それが脳内麻薬の量なのか?感覚の鋭さなのか?のバランスも見なくちゃいけないし。


まあ、より簡単に幸せを感じることができるようになるための修行をするなら、僕は大賛成ですが、それが物事に頼ったものであるなら、ちょっと燃費悪いですよね。

結果、瞑想でもしてれば?…と、思ってしまいます。


幸せは精神基盤の一種だと心得よ

一つ前の項で出てきたのは、幸せを「感覚の鋭さ」から得るか?物事から得るか?ということ。


子供のうちは何もかもが新しい発見なので、毎日が楽しい物事で溢れかえっています。

それが、だんだん慣れてくると、慣れや飽きが発生するので、幸せを補充するために楽しい物事を追加しようとして、ゲームや漫画に夢中になります。

そこから、だんだん大人になるにつれ、健常な生き方であれば、幸せに対する感覚が鋭くなり、くだらない娯楽からは少しづつ離れていく。


これが、幸せを軸にした時の人の成長過程なのですが、注目してもらいたいポイントがあります。

それは、「娯楽で幸せを補充している」というところ。


足りなくなる、補充する必要がある、ということは、幸せは「精神の基盤を構築する要素の一つ」だと言うことができるのです。

脳内精神安定剤と言っても良いかも知れません。(もちろん、分泌し過ぎも、しなさ過ぎも良くありません。)

幸せを常にある程満たしておくことで、精神が安定する。

この仕組みがあるから、人は毎日継続的に活動できるわけです。


ということで、「幸せは基盤」であり、その「上に乗っかる要素」がまだあります。



幸せより高次元の願望

ここまでの話をまとめると、「幸せのために生きているのではなく、生き続けるために幸せという”システム”がある」ということになります。

お金を得る時、食べ物を得る時、性行為をする時などに幸せを感じるのは、生命を明日へ繋いでいくためだということは、簡単に分かりますよね?


では、なんのために生きるのか?


振り出しに戻ってしまいましたが、それは、人間を「単体」で捉えていたからいけないのです。

人間は社会を構築していますし、一人では生存確率がかなり低いので、人類という「全体」で捉えなければ、話がおかしくなってしまいます。

なので、人の生きる目的を、「個人の存在意義」と置き換えてみましょう。


これには、社会の発展や、人類の末長い繁栄という、大きなテーマがありますよね。

その意義と個人の行動や思考、精神状態を結び付けるものが、幸せの次に追いかけるべきものとなります。


それが、「高次元の願望」です。


一度限りの人生なのに、ただ幸せになって終わりだったらつまらないですよね?

だから、誰かに、この世界に、人類史上に、何か「良い爪痕」を残して死んでいきたいと思って活動すれば良いのです。


どういう人生を実現したいのか?

高次元の願望は大きく分けて3つあると思っていますが、そのうちの一つが、「自分の人生」です。


自分の命をどんな人生に注ぎたいのか?

これを真剣に考え、行動に移さないと、死ぬ時に後悔することになるかも知れません。


要は、自分の頭で考え、自分の物差しで測り、自分の意思で人生を決定するということ。

これが、自分の人生に対して願望を抱くということです。


それを更に、「高次元」のものへと進化させていきましょう。


ただ、どう生きるのか?は最初に考えるべきテーマでもあるのですが、その後どういう活動をしていくか?によって内容が変わってしまうものでもあります。

なので、頭を熱くして首をひねる前に、とりあえず次の項へ進んでしまいましょう。

その中で、高次元の意味が分かると思います。


どういう仲間と成長したいのか?

高次元の願望3つのうち、2つ目が「他人の人生」です。


これは、自分の人生と他人の人生をつなぎ、関連性を持たせるとこうこと。

要は、自分は他人のために生き、他人にはこちらのために生きてもらうということですかね。

いろいろな捉えた方がありますが、他の表現をするなら、どんな仲間たちと成長していきたいか?ということでもあります。


とにかく、自分のことだけじゃなくて、他人のことにも頭を使い、愛情を注ぐことを考えましょう。

ここから人生は大きく広がっていきます。


元々社会の一員である以上、自分と他人には関わりが少しづつあるのですが、ここでは更に、「自分が築きたい人間関係を築き上げる」ことに命を注いでみるわけです。


どんな人間たちと、どんな関係を築き、何をして、どんな成長をし、何を成し遂げるか?

それを具体化することがここでの趣旨ではありませんが、「そういう願望をかなえて行こうよ」と、働きかけているわけです。


どういう世界で暮らしたいのか?

これが一番ヘビーなのですが、3つ目は「世界の運命」です。

これ以降も積み上げられていく歴史と言っても良いですね。


この世界に対して、何をしてあげられるか?どんな発展を巻き起こすことができるか?

それぞれ真剣に考えると良いでしょう。


別に大きな会社を作る必要があるわけではありません。(会社自体には雇用しか意味がありませんし。)

自分にできることの範囲で、世の中にじわじわと影響を与えていければ良いわけですから。


誰か一人を手助けしたら、その人がパワーアップして、また他の人を手助けする。

社会というものは、結局そんなものです。


自分にできること、これから先できるようになりそうなこと、そこから世の中にしてやりたいこと。

叶えましょうよ。



まとめ

今回一番言いたかったのは、「幸せは精神基盤の一種である」というところです。


僕が思うに、生活・肉体・精神の3つが育っていない人は、人として一人前ではありません。

それらが揃っていない人が結婚や子育てをすると、必ず問題が起こり、他人にも迷惑がかかるからです。


生活が整えば、自然と健康になり、健康になれば、自然と幸せになります。

この構造の話は、こちらの記事で詳しく解説しているので、読んでいただけたらと。


なので、まずは精神を自律的に安定させることができる人間性を構築してから、自分の願望を叶えていくと良いでしょう。

こんな事をわざわざ語るのは、現代教育の弊害かも知れません。


とにかく、人生は幸せで行き止まりなんかではありません。

この先も、進んで行こうではありませんか。


それでは、明日も心身を磨いていきましょうね。

ありがとうございました。