金原です。
食品スーパーで働いていると、たまに、こちらが何もしていなくても「ありがとう」と言ってくれるお客さんがいます。
この感覚は幸福な人生を歩む上で重要ですね。
逆に、接客料やチップを払っている訳でもない上に、定価よりも安い商品を買っておいて、偉そうな態度を取るお客さんもいます。
「なんだその態度は」
「言葉遣いに気をつけろ」
「客が優先に決まってるだろ」
彼らの言い分はきっと、「労働者が生活に必要なお金を払ってやっているんだから、こちらが偉いんだ。敬え。大切にしろ。」というもの。
しかし、それはあくまで個人間の「駆け引き」の話であって、とても「社会性」を帯びた思考や言動だとは思えません。
そもそも、労働者と消費者の立場は対等です。
労働者側も人々の生活や社会に必要なサービスや商品を提供しているのだから、お金を払ったところで「等価交換」が成立するだけ。
お金を払ったら偉い、なんてことはないのです。
社会や人々の人生に必要なのは、お金ではなくて「仕事」の方。
どちらかと言えば労働者の方が偉い訳ですし、他人に感謝できれば、気持ちよく過ごすことができます。
ということで、今回は、「仕事とお金の正しい優先順位と、他人に感謝する幸せな生き方」についてお話ししましょう。
偉そうな客のおかしさ
「お金を払っているから自分はお前より偉い」
もう言わなくても分かるかもしれませんが、こんな考えの人はヤクザ者です。
色々考えていくと、スーパーでの接客中にクスッと笑ってしまいそうなほど、偉そうなお客が「おかしい」ことがハッキリします。
人の家に上がっても威張るのか?
例えば、「いらっしゃいませ」。
これを店員が言うのは、人としての挨拶だとか、企業のブランド力向上とか、お客さんに店員の存在を知らせるとか、色々意味があるので、出来るだけやった方がいいと思います。
ただ、いらっしゃいませを言って貰えなかったからといって、怒り出すお客さんがいるのはおかしなことです。
さっきも言った通り、ほぼ全ての消費者(お客さん)は接客料もチップも払っていません。
なので、冷たいですが、親切にする義理は特にありませんよね。
それに、商業施設は、その場所をお客さんに対して解放しているわけで、そこに「上がり込んでいる」のはお客さん側です。
人の家に招待され、お邪魔し、おもてなしや何かサービスを受ける時に、「おい、お茶ぐらい出さないのか?失礼なやつめ。」なんて言えるのでしょうか?
どちらが失礼なのか?
人の立場は元々対等なので、自分の品格や地位を下げるような事をわざわざ言うのは、やめた方がいいと思いますよね。
社会に必要ない行為で威張り腐る
今の社会において、「会社と言うシステム」を回すには、お金を稼がなければなりません。
しかし、それは必ずしも社会や個人の生活にとって必要なものとは言えないと思います。
服があり、食べ物があり、家があれば生きていけるのです。
お金は今の会社を回すのには絶対必要ですが、個人にとっても、社会にとっても必要なものではありません。
それを払ったからと言って、威張るのは変ですよね。
会長や社長さん、役員レベルの「会社をやりたい人間」に対して偉そうにするならまだわかりますが、それも結局は「人としてどうなのか?」という疑問を残します。
人の足元を見て脅す民度の低さよ
会社に必要なお金を払って威張るのは、足に怪我をした人に杖を高く売りつけるのと同じです。
要は、「足元を見ている」わけですね。
困っている人や頑張っている人、社会に貢献している人などを「食い物」にする頭な訳ですから、自分が良ければ何でも良いのでしょうね。彼らは。
それが、品格、民度、倫理、社会性など、様々な点で評価できますか?
今の時代からすれば、下から数えた方が早いのは言うまでもなく。
自分の価値を自ら下げておきながら、偉そうにするなんて、現実と挙動が「逆」のベクトルになっています。
お金よりも仕事が必要
ということで、お客が偉いなんてことはないわけですが、次は、社会や人々にとっての「お金と仕事の優先順位」が見えてきます。
社会や人々にとって「お金」と「仕事」のどっちが必要でしょうか?
もちろん、今の社会にとってはお金も必要だと言えますが、「人類にとって根源的に必要なのはどっち?」と聞かれたら、それは「仕事」の方です。
お金は便利だが必ず必要ではない
確かに、お金は人類の活動を円滑にしてきました。
太古の祖先に比べたら、ね。
ですが、近い未来にお金よりももっと便利なものや概念が出てきてもおかしくはありません。(ブロックチェーンとか信用残高とかもある。)
その上で、考えて欲しいのは、「遠い過去にも遠い未来にも”お金は存在しない”」ということ。
極論ですが、人類にとって、お金はなくてもいいものなのです。
あくまでツール、手段に過ぎません。
現時点では、お金よりも、体を鍛える運動とか、食べ物を口に運ぶ動作の方がよっぽど人間にとって重要なのですよね。(生命に直接関わります。)
家を建てる、服を仕立てる、作物を育てる、資材を運ぶ、コミュニケーションや子育て、介護。
紙や金属、パソコン上の数字でしかないお金に、それらができるのでしょうか?
お金よりも仕事が消えた方が困る
お金がこの世から消えてもどうにかなりますが、仕事が消えたら人類が滅んでしまうんです。
「お金 < 仕事」という式が成り立ちますね。
物理学的に言われる動作としての仕事もそう。
商品やサービスを作り、提供するための仕事もそう。
ロボットやバイオテクノロジーなどがめちゃくちゃ発達して、人間が一ミリも動かなくてよくなった場合は分かりません。
それでも、現代においては、間違いなく、お金ではなくて人々の仕事が社会や生活を成り立たせています。
どちらかと言うと偉いのは労働者
お金を持ってくるのは消費者側であり、商品やサービス、インフラなどを提供するのは労働者側ですよね。
そして、根源的に必要なものを提供しているのは、労働者側。
なら、どちらがより偉いのか?
それは、間違いなく労働者側です。
…だから労働者が威張れる、というのが今回のお話ではありません。(自分の価値を下げるので、威張らないのが基本。)
「働く人に感謝して、気持ちよく過ごしましょう」というのが、今回の一番大切なポイントです。
人に感謝して生きよう
誰がより偉いのか?というお話をしてきましたが、そこから「誰が威張れるのか?」という思考に陥るなら、「自分一人のことしか考えられない小さな脳みそ」みたいに思われても仕方がありません。
自分の価値や品格を高めるためにも、「誰に感謝すべきか?」を考えてみましょう。
いや、それはもうハッキリしているので、「なぜ感謝した方が良いか?」について、お話ししましょうか。
他人に感謝するのは気持ちが良い
まず、他人に感謝するのは気持ちが良いことです。
これは、「その方が人間関係がスムーズに行くから」だと考えます。
スムーズに動くものやその瞬間って気持ちがいいじゃないですか。
微妙に抵抗があるものの、それによって美しい曲線を描きながら軌道を曲げていくなんて。
人間関係も、きっと八の字(♾)を描くように曲線を描きながらぐるぐる回っているのです。
それが円滑に、問題なく回る。
平和で、喜ばしいことですよね。
してやったより「してもらった」
次に、人に感謝した方が得をします。
これは、自分が何かを「貰った」「受けた」という点に意識がいくからです。
「俺がお金を払ってやったんだ」と思うなら、それは、「自分から出ていくものの方が大きい」という認識がある、ということになりますよね。
それって損じゃないですか。
お金なんて天下の回りものですから、誰からぶんどったか、バトンタッチされたものに過ぎないんですよ。
それが「どれだけ自分から出ていくか?」よりも、「自分がどれだけ人にしてもらったか?」の数が増えていくのを数えた方が、よっぽど幸せだと思います。
「やったね」
「ありがとう」
「よかった」
こういう、柔らかいプラスの気持ちを持って人と接したいものです。
情けも感謝も自分の為にするもの
「情けは人のためあらず」という言葉がありますが、人に気持ちを向ける場合全てに言えると思います。
つまり、感謝も自分のためになるのです。
心を豊かにし、周りの人間関係を円滑にする。
それが気持ちの持ちようだけで大きく左右されるわけですから、やって損はないと思います。
相手のためを思って感謝の気持ちを伝えるのは、より高度な習慣ですが、まずは自分の幸せな人生のために感謝することを忘れないようにしましょう。
他人に感謝する習慣が身につけば、関わる相手に心や頭を向けて、思ったり考えたりするのもハードルが下がるはずです。
まとめ
社会が、人間関係が、スムーズにいく。
その中で、自分が得られるものに目を向け、与えてくれた相手に感謝しながら、幸せに生きる。
まとめるとこれだけのことなのですが、人によっては変なプライドとかが邪魔することもあります。
それでも、まずは「自分のためにやる」ということを忘れなければ、自分の心境を観察した時に明らかな変化を感じるはず。
個人にとって、人間関係にとって、社会にとって、感謝するのとしないのではどっちが得なのか?
また、どっちの方が格が高いのか?
よく考えたら、プライドの高い人の方が労働者に感謝すべきだな、ということがわかります。
ぜひ、自分の「人としての格」を高め、大切にしてください。
それが本質的なものであるなら、自分にとっても、他人にとっても利のある、価値の高いものとなりますから。
明日も心を磨いていきましょう。
ありがとうございました。